本書第9章は「ウィルス性唯物論者」と題され、バロウズについて書かれています。
といっても、バロウズと呼ばれる人物は複数あって、どんなバロウズがいるのか、全防を把握し切れていません。
そのようなわけで、見知らぬバロウズの話だと思って読み始めたのですが。
ノヴァ急報という小説からの引用が書かれたところで、はたと気付きました。
「あのバロウズか」
まだお子様だった中学生か遅くとも高校生の頃。サンリオSF文庫という凄いという評判は聞くけれど何が何やら良く分からない文庫がありまして、その中から何やら凄いと言われたノヴァ急報という小説を買ったことがあります。
しかし、さっぱり何が書いてあるのか理解できず、面白いとも思わず、結局は放置してしまいました。(同じバロウズでも、火星のプリンセスのバロウズとは大違い!)
そんな昔は懐かしく思い出されると共に、ここであのバロウズの名前を見る意外性に驚かされました。全く予測もできない不意打ちです。
そして、本書に書かれた内容を読んで、なぜ歯が立たなかったのかも、何となく分かりました。本書は、実に有意義な本だと思います。他の誰かにとってはともかくとして、私にとっては。(多くの専門用語や概念がさっぱり分からず、文意を把握できているとは全く言えないにも関わらず、とても多くのものを得られている摩訶不思議!)
ちなみに、この章にはJ.G.バラードの名前も一カ所出てきます。当時、バラードの小説も何冊か読んでいますが、こちらの方は何とか読めて、面白さの片鱗ぐらいは掴めたような記憶があります。それが本当の面白さであったのかどうかは分かりませんが。
それはさておき、今の私から見ると、このウィルス性唯物論者という概念は、とてもすんなりと把握できるのも、これまた不思議な話ですね。
言語は宇宙から来たウィルスだ、という台詞も、今なら言わんとする意図が何となく分かります。確かに、そういう解釈は可能でしょう、と思うことができます。それに同意するわけではありませんが。そして、ここに書かれたバロウズのある種のリアリズムには、共感できる部分があります。まったく歯が立たなかったあの本の著者に、そんな気持ちを持ちうるとは、まさに摩訶不思議!)