今日は、飛鳥山公園に行ってきました。
先週と同様、癌研に父を見舞った帰りです。もちろん、目的は、先週見ることができなかった晩香廬と青淵文庫です。その他に、買ったばかりの幕末歴史散歩 (東京篇)という本を少し読み始めたところ、飛鳥山公園には「桜の賦の碑」というものがあると書いてあったのも理由のうちです。
さて、到着したとき、ジャスト16時。晩香廬と青淵文庫を見られるのは、16時まで。一瞬、それに気付いて焦りました。しかし、7~9月のみ16時30分までという特例のおかげで見られました。先週だったら16時では見られなかったところですね。
晩香廬 §
1917(大正6)年。木造瓦葺き平屋建て。(渋沢史料館のサイトより引用)
旧渋沢栄一邸の戦災で生き残った2つの建物の1つ。接待用亭として使われたものです。
渋沢史料館の一部ですが、無料で見学できます。
見れば見るほど惚れ惚れする建物で、こんな建物でお客様を接待してみたいものだと思いました。窓が多く明るい雰囲気ですが、裏の窓などに入った模様なども面白くて、とても良いですね、
青淵文庫 §
1925(大正14)年。鉄筋コンクリート・煉瓦造、2階建て。(渋沢史料館のサイトより引用)
旧渋沢栄一邸の戦災で生き残った2つの建物の1つ。論語関係の書籍の収蔵と閲覧用として使われたものです。
渋沢史料館の一部ですが、無料で見学できます。
しかし、これだけの建物を、80歳のお祝いと子爵に昇爵したお祝いとはいえ、門下生の団体から寄贈されるとは。何と羨ましい。しかも、このサイズですら、説明板には「小規模な建築である」と言い切られています。買った本を並べるスペースも圧倒的に足りない貧乏人とは訳が違いますね。
デザイン的にも、けっこう装飾が施されていて良い感じですね。私も、こんな書庫が欲しいなぁ。
船津翁の碑 §
晩香廬と青淵文庫を見終えた後、飛鳥山公園の中を桜の賦の碑を求めて歩きましたが。どうも、この公園のスケールを全く見誤っていたようでした。目的の桜の賦の碑を探して歩く途中で発見。
近代の農業に貢献した人……らしいのですが案内板の文章も分かりにくく、ピンと来ませんでした。「船津翁の碑」としてgoogleで検索しても3件しか出てきませんし。もし、ちゃんと趣旨を理解しようと思ったら、相当調べ物をしなければならないかもしれません。
飛鳥山碑 §
飛鳥山公園の原型は八代将軍吉宗が整備したもののようですが、その記念に作られた碑らしいです。こうして見ると、吉宗も親しみを感じさせますね。
しかし、当時から既に難解で良く分からない文章だったと案内板に書いてありました。
更に、古くなったためか、文字も非常に読みにくい感じで、写真でも文字が掘ってあるようには見えません。
桜の賦の碑 §
佐久間象山の詞を掘った碑。門弟の吉田松陰の密出国の罪に連座して蟄居中に愛国の心の堅さを歌ったものらしいですが。そういう激しい思いを今に伝える歴史的なものが、こんなとことに平然と置かれているというのはちょっと驚きかも。
ともかく、面白いものは探せば探すほど見つかる可能性がある、と言うことが証明された感じですね。