謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!
昨日の遊戯王の感想。
サブタイトル §
第1話 「戦慄のブルーアイズ・ホワイトドラゴン」 (本放送2000年4月18日放送)
あらすじ §
学校の教室で、遊戯と城之内はデュエルをしていました。
同じ教室内にいた海馬は、遊戯達の会話を横で聞き、遊戯の爺さん(双六)が何かレアなカードを持っているかもしれないことを知ります。
遊戯達は、双六の店に遊びに来ます。やってきた遊戯の友達に、双六はブルーアイズホワイトドラゴンのカードを見せます。
そこに、海馬がやって来ます。海馬は、ブルーアイズを見て顔色を変えます。そして、膨大なカードとの交換やお金により買い取りを申し入れますが、双六は親友から譲り受けた大切なカードだからと言って断ります。
海馬は、後から双六を拉致して、ブルーアイズを賭けたデュエルを強制します。双六は、カードは力だと信じているすさんだ海馬に、真のデュエルを教えるべくそれを受けます。しかし、ブルーアイズを3枚も所有する海馬に敗北します。更に、海馬の開発したバーチャルシステムのリアリティに身体にもダメージを受けていました。
電話で呼び出された遊戯は、倒れた双六からデッキを受け取り、海馬と対戦することになります。
海馬は、デッキに入れられるカードは同種3枚まで、というルールを述べた上で、4枚目があれば敵に渡るかもしれないと、双六から手に入れたブルーアイズのカード(彼にとって4枚目)を破り捨ててしまいます。
杏子は、遊戯、城之内、本田、そして杏子の手にマジックでマークを書き込み、友情の印だと言います。
杏子と本田が双六を病院に連れて行きます。
そして、遊戯と海馬のデュエルが始まります。
バーチャルシステムが始動し、遊戯の中から名も無きファラオが出現します。
デュエルが開始されると、モンスターが実体化して遊戯は驚きます。
デュエルを見に、海馬の弟のモクバも駆けつけます。
海馬は魔法カードを使った初歩的なコンボ攻撃を行いますが、名も無きファラオはさも大層な技を使われたかのように、「海馬め、このゲームを知り尽くしている」と危機感を募らせます。
そして、敗色濃厚となる名も無きファラオ。それを逆転。
しかし、海馬はブルーアイズを引きます。そして、2枚目のブルーアイズを。
強力なカードを前に、挫折しかかる名も無きファラオ。そこに、双六の声が聞こえます。双六の「パズルのピースのように」という言葉に、名も無きファラオはエグゾディアのことを思い出します。5枚揃わなければ召喚できない幻のモンスター。誰も召喚に成功したことがないという、少々嘘くさい曰くがあります。
海馬は3枚目のブルーアイズを引き、名も無きファラオの切り札ブラックマジシャンを撃破します。
このままでは遊戯は負けてしまいます。次のドローで、エグゾディアの最後の1枚を引き当てなければ、敗北は確定です。名も無きファラオはカードが遠くなるような気持ちになります。しかし、手に描かれた友情の印を見て勇気を取り戻し、カードを引きます。
引いたカードは封印されしエグゾディア。5枚揃ってエグゾディアが召喚されます。
「奇跡を起こしたというのか」と海馬は驚きます。
3体のブルーアイズは撃破され、名も無きファラオが勝利します。
そして、名も無きファラオは海馬の心の中の悪を破壊します。
謎の人物、ペガサスは部下より海馬の敗北を聞きます。
感想 §
まさか、こんなところ(バストフレモンの放送枠の後番組)で、遊戯王デュエルモンスターズの第1話を再び見ることになるとは。この第1話は印象深くて、あらすじをちゃんと覚えていました。ですが、見てみると今の遊戯王デュエルモンスターズとだいぶ雰囲気が違うところがあって、なかなか新鮮さを感じさせますね。
それはさておき、なぜ、この第1話の感想をこうして書きたいと思ったのかというと、もちろん感想を書きたいという気持ちもあったのですが、それと同時にあらすじも書きたいと思ったからです。あらすじを書くというのは、実は単純作業ではなく、クリエイティブな行為です。30分の長い物語を短い文章にまとめるためには、どうしても作品を解釈するという行為が不可欠であり、更にそれを表現しなければなりません。別の言い方をすれば、あらすじを書くことは、感動を表現する一種の方法であるとも言えます。それらの意味において、この第1話のあらすじを書いてみたいと思ったわけです。
この第1話は、よく練られていて、あらすじを書くに値する素晴らしい内容だと思います。たとえば機動戦士ガンダムの第1話が非常に良くできているのと同じような意味で、傑作だと思います。(同時に見たDANDOHやケロロ軍曹の第1話が、第1話として構成のバランスの悪さや詰め込みすぎの感じを受けたので、尚更この第1話の良さが引き立てられたという感じもありますが)
それはさておき。
海馬が遊戯のクラスメートで一人称が僕というのは、かなり衝撃的ですね。海馬というのは、こういうキャラだったわけですね。しかも、最後に名も無きファラオによって、心の中の悪を破壊されてしまうし。この心の中の悪を破壊するというのは、デュエルモンスターズではない、それ以前のアニメ遊戯王に近い感じでしょうか。最近の遊戯王では絶対にやらないことですね。
名も無きファラオも、あえてここでは名も無きファラオと表記していますが、作品中で完全に名も無きファラオという独立した人格は与えられていませんね。変身後の遊戯は、双六を爺さんと呼んで何の疑いもないような感じですし。
最後に、新作のデュエルモンスターズ入門編が付いているところが、単なる再放送ではなく、きちんとしたマーケティング的な意図を感じさせますね。明らかにハイレベルのデュエルが繰り返される本編シリーズは、新しいファンを獲得するには不向きです。そこで、第1話からやり直す価値があるのでしょうね。ある意味で、ポケモンを再放送したポケモンアンコール的な位置づけもあるのでしょう。あるいはポケモンAGで、モンスターは弱らせてからでないと捕獲できないという基本設定を再び説明し直しているのと同じような位置づけでしょうか。そういう意味で、遊戯王は新しいファン獲得にも意欲があり、今後にも期待して良いような印象を受けたのも好感ですね。
ちなみに、遊戯王の実物のカードゲームは、遊戯と海馬のストラクチャーデッキセット(だったと思います)を買ったことがあります。開けたら世界に4枚しかないはずのブルーアイズが入っていてびっくり (笑い)。
今回の一言 §
「海馬、おまえのカードに信じる力は宿っているか?」
格好良いですね。素晴らしいです。これを聞かされたら、細かい矛盾は全部無視して良いと思えますね。