歌でこれほど感激させられたのは何年ぶりか分かりません。
最近、ポケモン(ポケモンAGとポケモン放送局)はあまりちゃんと見ていなかったりします。しかし、ポケモンが放送されている時間にTVの前にいれば、一応、画面には映していたりします。
そういう状況で、今日、ポケモン放送局の終わりの方を何気なく見ていると。
いきなり10回も繰り返し聞いてしまう歌に出会ったのは何年ぶりか §
ポケモンAGの新オープニング「チャレンジャー」をやってくれたのですが。
これがもう1回聞いて、嬉しくて嬉しくたまらなくなるほど、趣味にピッタリあった歌ではありませんか。アニソンであるとか、ないといったジャンル分けに関係なく、これは数年に一度出会えるか出会えないかという凄く好みの歌です。好みというだけでなく、ガツンと殴られるような衝撃と感動も与えてくれました。
この感想を書く前に、10回ぐらいリピートしました。しかも、途中からSONY MDR-E888をTVのイヤホンジャックに突っ込んで聞き入ってしまいました。
以下、音楽は素人なのでデタラメなことを書いていると思いますが。まあ、ものの勢いということで、思ったことを書いてしまいます。そういうわけですから、書かれたことは信じないで下さいね。
ひどく取りにくいリズム §
最大の問題にして最大の魅力は、ひどく取りにくいリズムでしょうか。
リズムが取りにくいのに気持ちよく聞けるところが不思議です。そこは、非常に高度に計算された音楽設計がなされていると言えますね。単純にドラムをドンドン叩くだけでリズムを取ってしまうような、すぐ眠くなる歌とは正反対で好きです。
他の歌と比較するなら §
おそらく、この歌はカラオケで非常に歌いにくいものになるような気がします。
たとえて比較するなら。
少女革命ウテナのJ.A.シーザーの歌(というより本来は劇団 天井桟敷の、であるらしい)、それも間違えやすいリフレインがネックになりがちな「絶対運命黙示録」というよりは、もっと本質的にリズムが取りにくく歌いにくい「パーチャルスター発生学」であるとか。
慣れていない人も多い3拍子の上に、独特の大胆な間を求める天空のエスカフローネの主題歌「約束はいらない」であるとか。
そういう歌と同じような、ある意味で攻略性のある歌と言えます。
まず正しくリズムに乗ることができて、かつ、リズムが不連続になった部分を、不連続なリズムに乗って歌いきらないとならないかもしれません。
テンポの速さ §
リズムが取りにくい理由の1つは、テンポの速さにあるような気がします。速いのに、途中で遅くなったかのように見せかけるフェイクのリズムが提示されることも、リズムの分かりにくさの一因になっているような印象もあります。
しかし、このスピード感も魅力の1つですね。
複数のリズムが複合して分かりにくくさせている §
ハウス的というか、一見してマッチしていないかのように見えるリズムが競合している感じがあります。しかし、それは複数のリズムが離れたり接近したりする変化の部分に美しさや魅力が発生するわけで、それを上手く表現した音楽はそれだけで好きになったりします。実際、1980年代の後半ぐらいにハウスに出会ってから、本当に自分に合った音楽ジャンルがここにあると思って感動したことがあります。とはいえ、真面目にハウスに取り組んでいるわけでも何でもないので、偉そうなことは何も言えませんが。
それから、少しずつ音を重ねていく表現方法も、ハウスっぽいと言えるのかもしれません。
途中の無音部で飛ぶリズム §
途中に無音部分が一カ所あります。私のリズムの取り方が確かなら、ここでリズムの不連続が発生しています。しかし、そこで一瞬早く飛び出す感じが、また気持ちよいのです。
歌手が一人なのに2つ声が聞こえる? §
歌手としてクレジットされているのは松本梨香さんただ一人です。
しかし、声が2つ重なって聞こえるところがあります。
おそらく、松本梨香さんが一人で別のパートを歌ってミックスしているのだろうと思いますが、あえてこういう作り方をするところが面白いですね。とても不思議な良い味になっていると思います。とても新鮮です。
歌詞もいい §
ボーカルでまず良いのは、まるで楽器のように扱われる声というところです。
それは、言葉である前に、まず音楽を構成する楽器の1つとして魅力を発揮しているところが良いですね。韻を踏んだ歌詞も、そういう意味で効果を発揮していると思います。
それでいて、言葉もとても良く練られています。
景気の良い言葉の中に、「さびしくない」という言葉が紛れ込んでいたり、けして単純にガンガン行こうぜ、という歌ではありません。辛いことも嫌なこともたくさんあって、そのことの苦しみや悲しみを分かった上で、なおかつ、「冒険は終わらない」という気持ちが歌い込まれているところが、とても良いですね。
余談ですが、ちゃんと「はるか」という言葉も入っていますね。
絵もいい §
暗闇に一人立つサトシ。彼の前だけが光り輝いています。まさに全力でこれから何かに取り組む感じですね。
ポケモンバトル。やられそうになって、そこから反撃するところが流れるような映像と見事なカメラワークで表現されていますね。もう、バトルはこれだけ見られれば満足というぐらいに綺麗です。ちなみに、このバトルは、サトシとハルカのタッグ戦で、ちらっと一人前にサトシのパートナーが務まっているハルカが見えます。何回も見ていると、そういうところも見えてきますが、そこがまた良いですね。
そして、手持ちポケモン全部と一緒に走るサトシ一行。ポケモン達も一緒に走る姿は滅多に見られないものですが、ここはみんなで行くぜ、という感じで良いですね。
丘の上のサトシ達。回り込みながら、サトシの腕の中のピカチュウのアップに続くカメラワークが気持ちよいですね。
かつての基本ポケモン3体の最終進化形を背に走るサトシ。彼が背負ったものがじわっと来ますね。
画面を2つに割ってハルカとライバル男。ここでハルカが真剣な表情でライバル男の方を見ているところがグッと来ますね。オープニングなら愛想笑いが似合うところですが、ここではそういう描き方をしていません。描いている方も視聴者に媚びを売ろうとせず、とても真剣ですね。次のカットでハルカが微笑みながら演技をしているのは、これは演技の描写ですね。
「胸のMAP」という歌詞で地図を見ているマサト。ここは、MAPと地図を重ねているという以上に、マサトにも旅の中に自分のやるべきことがあるという感じがじーんと来ますね。それから、このカットのマサトは口を開いていないのです。可愛い小さな男の子がアニメのオープニングで取るべき態度は、口を開いて笑ってみせることだと思いますが、彼は口を開かずに微笑むのです。これは、凄くいいですね。
切り立った山の上に立つサトシとピカチュウ。高みを目指すチャレンジャーという感じをビジュアルでも見せてくれますね。
オオキド博士の後ろから出てくるサトシのママと、なんという名前だったか、あの少年。これは、サトシ達を見守っている人たち、という感じですね。こういう愛すべき人たちがサトシ達の後ろには居るわけです。
ジョーイさんとジュンサーさんに手を出そうとするタケシ。上からマサトが落ちてきてタケシを止めますが、それを見て驚くジョーイさんとジュンサーさんの驚き方が微妙に違うところが、二人のキャラクター性の違いが出ていますね。ストップさせて見ると、ジョーイさんの口は下向きに開いて、口の前に手を持ってきています。対して、ジュンサーさんは、まっすぐ前に大口を開いて、ちょっと品がありません。もちろん、品がないというのは、ジョーイさんとの比較であって、ジュンサーさんは素敵な女性です。
吹っ飛ぶロケット団。実に気持ちよく、吹っ飛ぶだけ吹っ飛んだというのが良いですね。吹っ飛ぶ爽快感に、彼らのアイデンティティの一部が確かにあるのでしょう。
滝に打たれるサトシ。無理に修行しているという感じが、実に試行錯誤する若いサトシという感じで好感ですね。
目を閉じたピカチュウを抱き上げるサトシ。本当に大切なものに対するいたわりの心が見えるようですね。
そして、タイトル。このタイトルが、完全に音楽と同期しています。不規則なリズム感に、ビジュアルもぴったり気持ちよく同期しています。
立っているサトシ達一行。互いに背を向けて各人が違う方向を見ています。普通のアニメなら、みんなカメラ目線で視聴者にアピールするところですが、そんな風に媚びを売ろうとはしていません。更に、互いに見つめ合ったりもしていません。みんな違う方向を見ているというのは、みんなの進むべき未来が違う方向にあるということと同時に、彼らが互いに安心して背中を任せられる関係だ、ということも感じさせます。
これだけの内容が、TVサイズの歌の中で一気になれるのですから、これはもう気持ちよく酔えるという他ありません。
今ここでこんな歌がポケモンの主題歌になる理由? §
アニメ界のマイクロソフトとでも言うべき帝王ポケモンが、今になってこんなにハードで挑戦的な歌を叩き付けてくるのはなぜでしょうか。下手をすれば子供は歌えません。いや、大人でもちょっと難しいかもしれません。それほどのものを、ガツンと叩き付けてくるのはなぜなのか。
それを一言で説明する言葉があることに気付きました。
つまり「チャレンジャー」なのですね。歌のタイトル通りです。
ここまで来て、なおチャレンジするのかポケモンよ、と言いたくなるところはあるかもしれませんが、成功したチャレンジャーこそが王者になれるのであって、そもそもチャレンジしない者は、一時的な栄華を手に入れることができても、後は滅びるのみ。当然のことながら、長期間に渡って王者であり続けるというのは、チャレンジャーにしかできない芸当です。(実際、長期間続く他のアニメでも同じことは言えます。ちびまる子ちゃんでも、サザエさんでも、ドラえもんでも、同じことの繰り返しのように見えながら、その中にチャレンジを見いだすことができます)
もちろんチャレンジが成功するかどうか分かりません。こんな歌いにくい歌は、ワンクールぐらいで引退という結果になるかもしれません。しかし、既に流れてしまった以上、チャレンジャーであることの宣言と挑発は行われたと見るべきでしょう。そこがまたワクワクさせられますね。
結局 §
これを書き始めた後で、更に7~8回見てしまった気がします (汗)。
2004年4月7日書き足し §
はたと思ったのですが。
この歌に出会った2004年4月6日は、実は40歳を迎える誕生日だったりします。人生の節目とも言える40歳の誕生日に、このような歌に出会えたことは、神様から贈られた誕生日プレゼントのようにも思えます。実際、この歌は、既に4月1日のポケモンAGでオンエアされていたし、いつもポケモンをちゃんと見ているわけではない、ということから考えれば、この日に出会わなかった可能性も大きいものがあります。それにも関わらず、誕生日に出会ったというのは、実に運命を感じさせます。そして、誕生日プレゼントが「チャレンジャー」ということは、神様が私に対してこれからの人生もチャレンジャーであり続けろ、と言っているようにも思えます。
実際にはそんなことはあり得ませんが、あえて、そういうことだと思うことに決めてしまうことはできますね。