2004年04月22日
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新現実 Vol.3 角川書店 (宮台真司×大塚英志対談の感想のみ)

Written By: 川俣 晶連絡先

 通常、オータムマガジンの感想編は、1冊の本を読み切って1冊の本について書くのを基本としますが、今回はその基本を曲げます。理由は2つあります。1つは、全部読むのはかなり苦しいボリュームであること。つまり、読み終わることを待っていては、永遠に感想を書けない可能性が高いことです。もう1つは、後で書く機会があるとしても、おそらく感想を忘れているだろうという事情によります。

 (以下、人名に敬称は略します)

宮台真司から多くを引き出す大塚英志の手腕 §

 まず、宮台真司から多くを引き出す大塚英志の手腕が光っていると思いました。宮台真司が、こういう風に、様々なことを重層的に考えていて、しかも対象や分野によって主張を変えているとは思いませんでした。そういう宮台真司の「手口」を明らかにできたという点で、大塚英志という人は凄いな、と思いました。

 つまり、この対談から私が受けた主要な印象は、大半を喋る宮台真司の価値というよりも、大塚英志の価値にあります。

煮え切らないことへの物足りなさ §

 宮台真司については、どうも煮え切らない感じがあって、そこが物足りなく思います。斎藤環の対談集の本で宮台真司との対談があって、そこで煮え切らなさを感じさせる発言があって物足りなかったのですが ( しまった。まだこの本の感想編を書いていない! )、この対談でも最後は煮え切らない態度に陥ったように思えます。たとえば、こういうあたりの言葉から、煮え切らなさを感じます。

というのは公式見解で、ホンネそこは微妙です(笑)。

 完璧な理屈を展開しても、最後はこんな感じで、腰が砕けているなという印象を受けてしまいます。

 このあたりが、どうして斎藤環や大塚英志を評価しつつ、宮台真司を評価しない理由という感じです。単なる印象だけで書きますが、宮台真司は完璧な論を組み立てているけれど、実は完璧な論などというものは存在しないので、腰が砕けざるを得ない感じがあります。しかし、斎藤環や大塚英志は最初から完全無欠で完璧な論を組み立てようとしていないので、「私はこう思う」というスタンスを貫徹して文章を終わらせることができます。それはそれで、首尾一貫しています。(もちろん、「私はこう思う」と言っても、思ったことを垂れ流すような粗悪な文章ではなく、コミュニケーション可能性の高い知的な文章であるから価値があるわけです。水準の高い知的な文章でありながら完全無欠を求めないことが、真に知的な文章の条件でしょう、たぶん)

 それから、宮台真司は実際の世の中を変えていくために活動を行っていて、対象によって異なる主張を語りかけているような話が出てきますが、これは個人的にはあまり高く評価しません。どちらかといえば策士策に溺れるしかないような雰囲気を感じます。社会というものは、そう簡単に操縦できるものではなく、それに対する危惧を大塚英志も持っていて再三表明しているようにも思えます。

 ある意味、公式サイトにコメントするような人達をないがしろにするような宮台真司の発言も、人間の持つ社会性という意味ではあまり好ましくないような印象を受けます。

それにも関わらず、なぜ宮台真司の対談を読みたいのか §

 ここが最も重要なポイントかもしれません。

 煮え切らないと分かっている宮台真司の対談をなぜ読みたいと思うのか。

 それは、斎藤環との対談にせよ、大塚英志との対談にせよ、宮台真司という存在が対談相手の存在を際だたせ、魅力を引き出していると感じるからです。そういう触媒としての作用は、斎藤環との対談で感じましたが、この大塚英志との対談で強く印象づけられました。