2004年05月04日
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文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ 斎藤環 青土社 (感想その1「キャラクターと文脈性」)

Written By: 川俣 晶連絡先

 感想を書くタイミングを、読み終わるまで待っていると忘れてしまうことが多いので、ちょっと実験的に方針転換してみます。

 読んでいる途中で、強く思ったことがある場合、それのみを書いてみます。

キャラクターと文脈性 §

 今日、この本が届いたので最初の方を少し読んでいたとこと。

 「あっ」と思ったのは以下の部分です。

31pより

私の考えでは、虚構のキャラクターがリアルであるためには「文脈性」が欠かせない。マックスには物語文脈(事故死したのちサイバー空間に人格を移植されたレポーター)があり、DK-96には(「スペック」はあったが)、文脈がなかった。(中略) こうした「文脈」によって先行されないキャラクターは、けっして固有のリアリティを持ち得ない。

 これは、最近の流行りの美少女キャラクターにまったく食指が動かない理由について、まったく意外な角度から、的確に説明しているように思われました。

 最近の流行りの美少女キャラクターというのは、その筋の人から話を聞くと、アニメやゲームのキャラクターというよりも、キャラクター人気を支えるグッズとしてアニメやゲームが存在するものなのだそうです。(もちろん、全てがそうではなく、違うものもあります) (2004年5月4日22時48分頃追記。そういえば、ここでいう最近は既に5年ぐらい前の状況かも知れません。今はまた違うという可能性もあり得ます)

 たとえば、うる星やつらのラムちゃんでも、宇宙戦艦ヤマトの森雪でも、あるいは、もっと遡って源氏物語に登場する女性でも良いですが、そういったキャラクターが発生させる魅力というものがあります。それがキャラクターに期待される魅力であるとすると、上記のようなタイプの美少女キャラクターにはそれがあまり感じられません。

 しかし、それらの美少女が、まずキャラクターありきという構造を持ち、そのバックグラウンドとなる文脈(アニメやゲームのドラマ)は、キャラクターグッズの中で展開される後付けのものに過ぎないとなると、それらのキャラクターは固有のリアリティが希薄な状態にあると言えることになります。これが、「期待される魅力」を減退させているとすれば、個人的な印象に驚くほど上手くマッチします。

裏側から見ると §

 これを裏側から見ることもできます。

 では、固有のリアリティを持たないキャラクターに対する人気とは、いったい何であるのか。

 彼らは何を喜び、そのようなキャラクターグッズに金を払うのか。

 おそらく、固有のリアリティを持たないことに、何らかの価値を見いだしているのだろう、と推測します。

 しかし、それが具体的に何であるのか、それ以上の考えはまだ何もありません。ここでは問題提起のみ。