何気なくメールボックスを開くと以下のような電子メールが。
5月22日
川俣 晶様
アット・ニフティを14年間ご利用いただきまして
誠にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
From アット・ニフティ スタッフ一同
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5月22日は川俣 晶様がアット・ニフティにご入会されてから、
ちょうど14周年目にあたります。
日頃のご愛顧に感謝し、スタッフ一同、ここに厚くお礼を申し上げます。
(以下略)
もう14年も経ったのですね。
当時はまだアット・ニフティという名前ではなかったと思います。
そして、パソコン通信サービスへの入会という意味では、私の中ではかなりあとの時期になって入会したサービスです。
と言うことは、他のサービスへ入会してからの期間は、14年よりも長いということになります。最初に入会した大手のパソコン通信サービスはPC-VANと日経MIXですが、それらに入会してからの期間は、14年より長いわけです。ちなみに、既に知らない人も多いと思いますが、PC-VANは今のBiglobeの前身の1つとなります。
それで何を言いたいのかというと §
この14年以上の時間から、本格的なインターネット時代となった1999年以降の5年間を差し引いた9年間、いろいろな出来事がありました。
とんでもないことや、洒落にならいことや、心底凄いこともありました。
たとえば宮内庁書陵部の立派な研究者と、この単なる素人が、新渡戸稲造の野球害悪説で話が盛り上がったりする事態が起きるなど、通常は考えられませんが、そういうこともありました。(どうも、これがパソコン通信時代の最大の出来事として印象に残っているらしい……汗)
そういうバックグラウンドから今のインターネット上の言論を見ると、とりあえず、「つまらん」という印象が残ってしまいます。なぜ「つまらん」のかと言えば、過去の出来事を顧みることなく、同じような失敗を繰り返しているように見えるからです。むしろ、ネットワークとしての自由度とパワーがある分だけ、失敗の規模が大きくなっているように思えます。
もちろん、パソコン通信をやっていた者達がみんな立派で、失敗から学べる人間だった、などとは言いません。駄目な奴も、ろくでもない奴も、異常な奴もいっぱい居ました。しかし、その反面、尊敬に足る立派な人間も、輝くようにあちこちに見られました。そういう人間に何かの用事ができて電子メールを送り、返事が貰えたりすると嬉しいものでした。彼らのような人物がリーダー的に先導することによって、何か価値がありげな雰囲気が生まれ、それを共有できたような気がします。
しかし、最近、「この人は凄い、立派だ」と思う人は、主な活動場所をインターネット上に持っていないことが多いのです。もちろん、文化的な意味でインターネット上のコミュニティを主導的にリードする人間はいますが、その人達と、「この人は凄い、立派だ」と思う人が重ならなくなったと言うことです。「ちゆ12歳」が活躍して、VNI(バーチャルネットアイドル)ブームが起きた頃までは、全く重ならないという状況でもなかったのですが、最近は重なりを感じません。
では、今のインターネット上で行われている様々なことはいったい何であるのか。
私は、そのような問いかけに興味があります。パソコン時代から、まだしも納得できる部分のあったインターネット時代を経由して、今のインターネットの状況までの流れをコンテキストとして踏まえて。そして、14年を超える時間の重みを背景として。
おそらく、それはインターネット内部で自己言及的に検討することができない問題でしょう。