ある村に、100年に一人と言われるほどの穀潰しがいました。メシは他人の10倍食べ、仕事はさっぱりせず、若い女と見るとその場でレイプするような男でした。
取り得と言えば、大木を拳の一突きで倒し、しかもそれを軽々と抱えて山から下りてこられるだけの馬鹿力だけでした。
しかし、その取り得も、悪さをした穀潰しに罰を与えようと集まった村の者達を返り討ちにするために使われては、取り得とも言えません。
あいつには触らぬ神に祟り無し、と村人達は思っていましたが、村人達が敬遠しようとしても、穀潰しの方は放っておきませんでした。穀潰しは、何かと理由を付けて、村人達の家を訪ね、メシをご馳走になって、その家の若い娘を犯しました。村人達は、それに逆らう術はありませんでした。
そんな日々が続くうちに、不思議と、娘達の中に、穀潰しを憎からず思う者達も出てきました。彼女たちは、穀潰しを弁護し、庇い、そして勝手に女房のような態度を取りました。
大切な娘達が味方に付くと、尚更村人達は穀潰しを責められなくなりました。
やがて、穀潰しの子供が、相次いで何人も生まれる事態が起こりました。そのことは、当然予想されたことでした。
しかし、そのあとに起こった出来事を予測した者は皆無でした。
子を持った女は強いのです。
驚くほどの腕力を持つ穀潰しよりも強かったのです。
きちんと結婚してこの子供の父となれ、と娘達は要求しました。穀潰しは、自分の子供を抱いた娘を相手に暴力を振るうこともできず、たじたじとなりました。かといって、娘達の要求を呑むこともできません。娘の一人と結婚すれば、他の娘の要求をはねつけることになるからです。
ついに、ある夜、穀潰しは村を飛び出しました。
もはや逃げるしかない負け犬として、ほとんど着の身着のままに村から出たのです。
道のない森の中を強引に突っ切りながら、穀潰しは考えました。
村の家をまわって、メシと娘を頂く方法はもう怖くて使えない。
では、どうすればメシと女にありつけるのだろうか。
なぜか、穀潰しの頭に、真面目に働くという考えはありませんでした。
結論は出ませんでした。
穀潰しは、食べ物を恵んで貰いながら乞食同然の旅を続けました。その間、ハラペコで、女にも飢えた状態には耐えるしかありませんでした。
やがて、到着した由緒正しい歴史の深い街で、景気の良い客寄せの声が聞こえてきました。
さぁさぁ、これが伝説の勇者の剣だよ。これが抜けた人こそが真の勇者だという伝説だ。この九十と九年の間、抜いた者が一人もいないという本物だよ。今なら挑戦はたったの15銭だ。由緒正しき血筋のお方、はたまた腕に自慢のあなた、抜けるか試してみないかね?
穀潰しは、その口上に興味を持ちましたが、意味が良く分かりませんでした。
穀潰しは見ている客の一人に質問しました。
勇者って何だ?
すると客は答えました。
大昔、この街の危機を救った伝説の戦士のことですよ。
更に穀潰しは質問しました。
大昔の人なら、もう死んで居ないのではないか?
客は説明できることが嬉しそうで、自慢げに言いました。
初代の勇者はそうですよ。でも、あの剣に選ばれた人は、勇者なのです。後から抜いた人も、みんな勇者なんです。これから抜く人もね。
穀潰しは最も重要なことを質問しました。
勇者になるとメシと女にありつけるのか?
客は笑いながら答えました。
そりゃもう、どこの家でも喜んで食事を出すでしょう。娘達にも大人気間違いなしです。
穀潰しは、これだ!と思いました。
そして、穀潰しは更に質問しました。
力が強ければ剣は抜けるのか?
客は答えました。
いえいえ。あれは不思議な剣で、持つ者を選ぶと言われています。血筋とも高潔な心とも言われていますがね。普通の人間が引いても重くてビクともしませんが、選ばれた者が引くと、すっと抜けると言われていますよ。
穀潰しは考えました。
自分には血筋も関係がないし、高潔な心もありません。ただメシと女が欲しいだけなのです。きっと、剣を引いても重いでしょう。しかし、穀潰しの力なら、それを抜けるかも知れません。軽々と振るっているふりをすることすらできるかもしれません。
極度のハラペコ状態だった穀潰しは、とりあえず一瞬でも自分を勇者だと誤解させることができれば、メシが食えるかも知れないと思いました。
そこで、穀潰しは剣に向かって進みました。
穀潰しの前に立って、15銭頂きます、と言った男は、これが代金だと言って殴って気絶させました。
取り巻いていた客達は騒然となりました。
穀潰しは、剣の柄を掴んで引いてみました。穀潰しでもやっと持ち上がるぐらいの重さです。しかし、抜けないことはありません。
穀潰しは一気に剣を抜くと、それを高々と差し上げ、俺が勇者だ、と叫びました。
観客達は、一瞬静まり、それから大歓声を上げました。
彼らは穀潰しの周囲に集まり、口々に万歳を叫び、握手を求めました。
穀潰しは、必死に腹が減っているんだ、と叫びました。
すると、食べ物が次から次への勇者に渡されていきました。
その後は、頼んでもいないのに上等な服が穀潰しに集まってきました。ボロボロの乞食同然の服を見て、気を利かせた者達がいたのです。
更には、街で最高級のホテルの支配人までは来て、部屋を使って欲しいと言いました。穀潰しは、そこで風呂に入って身体も綺麗にしました。
さて、次は娘だが……と思いながら穀潰しが窓から外を見ると、物陰から綺麗な服を着込んだ娘の集団が、黄色い声を上げながら穀潰しの部屋を伺っていました。
あんな上等な女がホイホイと来てくれるわけがないと思いつつ穀潰しが声を掛けてみると。娘達は歓声を上げながら穀潰しの部屋に入ってきました。
穀潰しは、勇者というブランドの力の大きさに驚きました。貞操観念の薄い遊び慣れた町娘達が、喜んで穀潰しの部屋に入るのに十分な力があったのです。
しかも、穀潰しが子供ができることへの恐怖心を打ち明けると、避妊の方法まで丁寧に教えてもらうことができました。
街には、そんな便利な知識もあるのかと、と穀潰しは驚きました。そして、穀潰しは何人もの娘達を繰り返し犯して、やっと女にも満足しました。
満足すると急に怖くなりました。
こんなに上手く行って良いものか。
その不安は、街の市長が訪問してくるという話を聞いた時に最高潮に達しました。
きっと何か落とし穴があるに違いない。
そう思った穀潰しは、もう十分と思って逃げ出すことに決めました。
市長が部屋に入ろうとした時、既に穀潰しは窓から逃亡した後でした。穀潰しの服装は、目立たないようにいつものボロ服姿でした。高い服は全て部屋に置いていきました。
しかし、勇者の剣だけは、どうせ他の誰にも扱えないものだから、と言うことでボロ布にくるんで持って行くことにしました。
穀潰しはそのまま街から出て、近くの森で野宿しました。
ところが、その夜は、街の方が騒がしいことに気付きました。何やらお祭り騒ぎをしているようです。
まさか、穀潰しの正体がばれて、こんな奴が街から出ていったことを祝っているのだろうか。
そんなことを考えた穀潰しは、どうしても確かめたくなって、街に引き返しました。
街の者に訊くと、街を危機に陥れていた腐敗市長が失脚したのだと言います。これで、この街は救われたとみんなお祭り騒ぎをしていたのでした。
そして、こう付け加えた。
それも、新しい勇者様のおかげだ。勇者様が街を救ってくださったのだ。
自分は、その市長から逃げたのであって、倒したわけではないのに、と穀潰しは首を傾げました。
しかし、うわさ話を聞くうちに、だんだんと真相が分かってきました。
市長は、この街を潰そうとしているライバル市の傀儡だったのです。
このまま放置すると街が潰されかねない、という状況で反対運動も激しくなっていたそうなのです。
そんなときに、剣を抜いた勇者が出現した、と聞いた市長は、それを自分の味方に引き入れれば勝てると即座に判断したのです。そこで、高級な服を渡し、ホテルの最高の部屋も提供させたのだと言います。
贈り物を受け取った以上は、勇者も市長の味方になるほか無いだろう、と思いながら市長がホテルの部屋を訪問してみると、そこはもぬけの空。しかも、送った服はみなそこに置いたまま。
その噂は、瞬く間にホテルの従業員を通じて町中に広がり、勇者は全てを知った上で市長に味方せず、として市長弾劾運動が一気に過熱。中立だった人達も、勇者のブランドには弱く、反市長に立場を変更。あれよあれよという間に、市長は失脚したと言います。
これもみな勇者のおかげだと、誰もが言っていました。
全ては誤解の産物です。
穀潰しは逃げようとしましたが、すぐに勇者だと気付かれてしまいました。
穀潰しは必死に、自分はホテルを抜け出しただけで何もしてない、と言いましたが街の人達はそれを聞かず、彼を歓待しました。
やがて、穀潰しは新市長と二人きりで面会することになりました。
お祭りムードから隔離された静かな部屋で新市長と向かい合うと、穀潰しは少し落ち着きました。
そして、穀潰しは、洗いざらい、全てのことを告白しました。本当の勇者ではなく、単に腕力があるだけだと。
しかし、新市長は、それこそが勇者だと微笑みながら断言したのです。
新市長は言いました。
勇者は街を救うと言われていた。そして、事実として救われたのだから、あなたは街の恩人だ。あなたが意図したにせよ、意図しないにせよ、あなたが救ったことに変わりはない。
それを聞いても、穀潰しは納得できませんでした。勇者ではないのだから、これからも同じように街を救うことはできないと。
すると新市長は答えました。
もうあなたは街を救ったのだから、未来のことを心配する必要など無いのだ。あとは、街を救った勇者として、この街で幸せに暮らして行けばよい。これ以上何かをする必要などないのだ。
そこで、穀潰しはやっと理解しました。
このあと、勇者らしいことを何かしなくても、この街では勇者として受け入れてくれるのだと。
そこで、穀潰しは市長の申し出を受け入れて、この街で暮らすことにしました。
穀潰しは、新市長から食べきれないほどの食事と、抱ききれないほどの取り巻きの娘達を提供され、幸せに暮らしました。
ところが、その幸せは長くは続きませんでした。
前市長が傀儡となっていたライバル市が、今度は軍事力でこの街を攻めようとしているという噂が流れたのです。
ライバル市は多数の傭兵を雇い入れ、軍事力を強化しているとの噂でした。
それに対して、この街では軍事力を強化する活動も行われず、住民の不安感は高まりました。
そんな状況で住民に演説した市長は、こう言いました。
何を恐れることがあるものか。我々には、勇者様がいるではないか! 彼が先頭に立って戦えば、いかなる大軍といえど、恐れるに足りぬ!
穀潰しは、市長にまんまとはめられたことに気付きました。こんな時に、軍隊の先頭に立たせるために、彼は食事と女によって飼われていたのです。
次の朝、街のどこにも穀潰しの姿はありませんでした。
そして、その夜には市長が失脚し、街はお祭り騒ぎに湧いていました。
おわり
(遠野秋彦・作 ©2004 TOHNO, Akihiko)
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