2004年08月21日
川俣晶の縁側辛口甘口雑記 total 4298 count

これが新しいインターネット? インターネットは分類されていない答えの溜め池であるか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 主に自サイトにやって来る人達の行動などから最近のインターネット上の動向を見ていると、以下の2つの傾向があるように感じられていました。

  • 検索エンジンからやって来る人が多い
  • サイト内を移動しない人が多い

 こういう人達についての印象を一言で言えば、「(特定のページの読者ではあっても)オータムマガジン(というサイト)の読者ではない」ということになります。

 特定のページだけの読者も立派な読者、という考え方はあり得ますが、これは適切な考え方とは言えません。と言うのは、サイト自身が持つコンテキストというものがあって、そのコンテキスト上でしか評価し得ない内容が含まれるからです。もちろん、他のコンテンツに依存するコンテンツは、依存する他のコンテンツに対するリンクを含んでいたり、トラックバックを受けていたりします。しかし、それらのリンクを辿って、コンテンツが立脚するコンテキストを把握しようとして動かない読者達には無力です。かといって、1ページの中に必要とされるすべての情報を詰め込むと言うことは、現実的な労力で可能なことではなく、しかも詰め込んだら長すぎるページになってしまい、読者は読まずに捨てることになるでしょう。いずれにしても、このような状況は、書き手にも読み手も不幸という他ありません。

 漠然とした印象ではありますが、それに対して何かの対処を取らねばという問題意識はありました。しかし、コンテキスト性の希薄化という状況下で、はたしてこういう問題意識を持つ人が他にいるのかどうか、私だけがドンキホーテのごとく空回りしているだけではないか、という懸念もありました。

 ですが、いましたね。同じような問題意識を持った人が。

検索エンジンが回答エンジンになるとき §

 こういうページを見つけました。

 このページでは、インターネット上でウェブサイトの価値が消失しつつあることが述べられています。

 かつては、よいサイトを探すために検索エンジンを使用していたが、

主要な経年変化は、よいサイトを探すために検索エンジンを使わなくなってきていることだ。

 と変化したことが述べられています。つまり、

深く探求して利用するようなサイトを探すのではなく、今ではユーザは特定の答えを探すだけなのだ。

 ということで、検索エンジンによって探索されているのは、サイトではなく答えに過ぎないと述べられています。(過去に書いた関係するかもしれない話題: 「検索エンジン教えて君」への懸念)

 これによって、ユーザーから見たインターネット像が変化していることが以下のように説明されます。

結果的に、そのページがどのサイトのものであるかを気にせず、特定の目的に関連した、特定のページだけを探すために検索エンジンを使うユーザにとって、ウェブ全体が大きな 1 つのリソースの塊になっているのだ。

 このような、誰がどのようなサイトに書いたものも区別されないことの問題点は、xml-usersメーリングリストで以下のように書いたことがあります。

[xml-users 8862] Re: 無自覚なトラックバックspamが流行している?より

 一部には(@ITなど)、書籍のパソコン雑誌とほぼ同じシステムでやっているサイトもあります。

 問題は、そういうサイトの有無ではなく、それだけのお金と人手を掛けているサイトと、1個人が金も時間もさほど使わずに思い込みで書いているだけのサイトが、同列に見られてしまう状況だと思います。

 本当は、著者だけでなく、編集者や校閲者が書かれた内容をチェックしているサイトは、信頼度という点で差が付いてしかるべきだと思いますが、現在のインターネットでその差を意識している人は、あまり多くないような気がします。

 このページの著者は、そのあと、このような方向で考えるのではなく、特定のページだけ読んでサイトを意識することのない「つまみ食いユーザ」をどう扱うべきか、サイトの常連ユーザをどう囲い込むかなどの方向に話が進みます。このような方向ではあまり考えていなかったので、なかなか興味深い内容だと思いました。

とはいえ…… §

 とはいえ、このページも参考リンクをいっぱい張っていますが、「つまみ食いユーザ」はそれらのリンクを活用することなく、立ち去っていくのでしょうねぇ。

 MagSite1も、「つまみ食いユーザ」と「常連ユーザ」をどのように扱うか、意識的なユーザーインターフェースデザインを行う必要があるかもしれません。