2006年03月18日
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コロニーレーザーとはブライトにしごかれて発射してしまうティターンズのペニスであるか?

Written By: トーノZERO連絡先

 『機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛』の感想の続きです。

カミーユだけが女性性を持つ男性であるのか? §

 既にカミーユが女性性を体現する男であるという考えを述べましたが、はたしてこの条件に該当するのはカミーユだけでしょうか?

 そう考えてみると、実はヤザンも女性的であることに気付きました。

 ヤザンの持つある種のヒステリックな不安定さは、ジェンダー的に女性的と言って良いように思います。

 そして、紛れもなくヤザンは、サラやレコアと同じように、シロッコに惹かれて彼の下に走ります。しかも、男性性に異議申し立てするかのように、男性性の無邪気な体現者であるバスクを殺害するという行動まで取ります。つまり、女性性を抑圧する対象を滅し、女性性を尊重する(と偽装する)シロッコのところに走るわけです。この行動は、本質的にサラやレコアと同じ方向性を持ちます。

 また、バスクを殺すという行為は、シロッコを殺したカミーユと接点があると言えます。

実はブライトも…… §

 ブライトも女性的なキャラだと思います。

 やや高い声でヒステリックに弾幕の薄さを指摘するような態度には、女性的なジェンダーを感じさせる部分があります。

 余談……。

 ゆえに、ガンダムシリーズにおける艦長席とは女性性を強く持つ者が座ることこそふさわしいと言えるかもしれません。

 ガンダムZZで、ネェル・アーガマの艦長席に座っていたビーチャも、どことなく女性的があったような気がしますが、もううろ覚えなので定かではありません。

 F91はすっかり忘れていたので調べてみると、レアリー・エドベリという女性が練習艦スペースアークの艦長代行として艦長席に座っていたようですね。

 0083のシナプスは、男の中の男、武人という感じですが、それにも関わらず女性的な雰囲気がまとわり付いています。行動がやや短絡的すぎるところに、女性性が感じられます。(ちなみに、武人が女性的であるのはよくあること)

 そして、ガンダムSEED系作品になると、まさに艦長席は女性の指定席になった感があります。

女性的なブライトの手助けによる発射される男性自身 §

 この『機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛』という作品は、突き詰めると男性性と女性性の対立の作品と見ることができるかもしれません。

 両者の対立は、コロニーレーザーの発射によって決定的に決着が付きます。

 コロニーレーザーの発射とは、「射精」の隠喩と見ることができます。

 つまり、マッチョを装い、暴力的に女性性を屈服させようとしていた男性性は、射精という段階に達したことで力を失います。

 ここで重要なことは、コロニーレーザーが、男性性を体現するティターンズの所有物だということです。女性性を担うブライトは、そのコロニーレーザーを奪い取り、そして、堅く太く長いそれを「しごいて」発射させたのです。(しかも、まだ発射してはいけないと引き延ばしも命じます。つまり、ブライトは「射精」を支配しています)

 射精によって力を失った男性性は、もはやシロッコの味方をすることはありません。ゆえに、カミーユによって倒されることは、当然の結末ということになります。

MSに見る男性性、女性性 §

 シロッコが乗るジ・Oは、股間に第3の腕を隠しています。これは、露骨な男性性の隠喩であると見ることができます。

 一方のZガンダムは、線が細く、歴代ガンダムの中でも特にスマートな女性的な機体と言えると思います。それだけでなく、たしかZガンダムは胴体内部に大きな空洞を持っていたように思います。たぶん、MS形態では機首が、ウェーブライダー形態では腕を収納する部分です。言うまでもなく、突起物ではなく空洞(穴)を持つというのは、女性的な形状の隠喩となります。

 そういう意味では、身勝手な男性性を体現するシロッコが男性の隠喩を持つ機体に乗り、それに異議を申し立てる女性性を体現するカミーユが女性の隠喩を持つ機体に乗るというのは、作品の本質的な部分を間接的に表現するという興味深い演出となっていた可能性があります。

 そう考えると、たとえば重戦機エルガイムの最終回で第2主人公メカであるエルガイムmk-IIから、最初の主人公メカであるエルガイムに乗り替えるという展開がありましたが、この作品においてそれはあり得ない選択だったということになります。無邪気な男性性を体現するティターンズが開発したガンダムMk-IIに乗って、男性性への異議申し立てはできないということです。

カミーユとクワトロの相性の良さ §

 クワトロつまりシャアは、本来はアムロのライバルとして登場したキャラであり、主人公との相性は非常に悪いという印象があります。

 そのためか、ファーストガンダムと逆襲のシャアでは敵となり、ガンダムZZでは登場すらしません。例外的にZガンダムだけが、主人公の味方としての立場を安定的に持つことが出来ています。

 その理由も、カミーユの女性性を考えると見えていくる感じがあります。

 男性性の体現者であるクワトロは、通常男性性を体現する主人公と正面から存在が激突します。だからこそ、優れたライバルたりえるわけですが……。クワトロがいるアーガマにアムロが行けない理由は、ここにもあるでしょう。

 しかし、Zガンダムにおいては、男性性を体現するクワトロは、完全に女性性を体現するカミーユと安定的に立場を住み分けます。同じ戦場にあって一緒に戦っていても、二人の間に無意味な緊張や、気持ちの競り合いなどは起こりません。

 それどころか、閉じこめられたときに、クワトロがここから出たいと言えば、カミーユは即座にその意図を察知して演技を行います。夫婦のようなあうんの呼吸は、まさに夫婦に類する信頼関係があればこそできることなのでしょう。

なぜキッカは出てきたのか §

 ラストシーンでキッカが出てきたのは良かったですね。

 いや、キッカが出てきたのは嬉しいですが(TVシリーズZガンダムのときはキッカが最も可愛い女の子であると思っていたし)、どうしてもここで登場させねばならない必要性について考える価値があると思うのです。

 ここで、女性性、男性性という対立軸を前提に、ここでキッカが出てこなければならない理由について考えてみましょう。

 キッカはカツと同年代であるはずですから、グリプス戦役の戦場にいてもおかしくないと言えます。それにも関わらず、彼女はそこにいなかったのです。

 それはなぜか?

 そして、なぜその事実を描く必要があったのか?

 それは、カミーユが背負った女性性が、「全ての」女性性ではないからかもしれません。

 カミーユが背負った女性性とは、身勝手な男性性によって傷つけられた心です。身勝手な男性性とは、陽にはティターンズによって、陰にはシロッコによって発動されたものです。

 しかし、ずっと地球にいたキッカからすれば、そのどちらに遭遇することもなく、遠い世界の出来事に過ぎないでしょう。

 そう……。

 この作品世界のこの時代にあって、カミーユが背負った心の傷は、実は少数派の傷でしかなく、戦いを遠くから見ているだけの大多数の一般人には無縁のものであると……。

 そういう印象を残すために、キッカはどうしても登場しなければならなかったのではないか……、そんな気もしました。

カイとセイラの出会いとは何か? §

 もう1つ。

 カイとセイラの出会いのシーンが描かれています。

 実は、ファーストガンダムが終わった時点で、カイとセイラはくっつくと思っていました。この2人は、互いに欠けたものを補完できる関係にあると思ったからです。

 そういう意味では、カイがセイラに会いに行き、セイラがカイを立派な人物を迎えるに値する丁寧な態度で迎えた描写は非常に嬉しいものでした。

 しかし、これもわざわざ私を喜ばせるために入れたシーンとは思えません。

 女性性、男性性という対立軸を前提に、このシーンを見たとき、軟弱っぽく見えつつも男性性を体現するカイと、ブラザーコンプレックスにより兄に対する妹の立場に強く流されることで女性性を体現するセイラの対比が浮き上がります。

 しかし、ここ発揮されるカイの男性性は、ティターンズが発揮した素朴で暴力的な男性性とは全く異質なものです。おそらく、カイの持つ男性性とは、女性に対する真の優しさに根ざすものです。(それは、ファーストガンダムにおけるミハルに対するカイの態度を見れば分かるでしょう)。そして、セイラはその男性性を否定しないし、異議申し立てもしません。むしろ、それを尊重しようとします。カイも、セイラの持つ女性性を道具として利用しようとはせず、一人の人間としてセイラの人格、心を尊重する態度を取ります。

 つまりですね、この二人は、本来あるべき望ましい男性性と女性性の出会いの姿を示していると見ることができると思います。

 映画を終えるに当たって、カミーユ達が演じてきた異議申し立てのドラマの後に続くものは、もちろん男性性と女性性の和解と関係の復旧です。そのための道筋、あるべき姿を、この二人は見せてくれたのではないでしょうか?

 だからこそ、この二人のシーン抜きでは、この映画は終わることができなかったのかもしれません。

雑感 §

 いや~、語った語った。

 1本の映画でこれだけ語れれば、とてもお買い得ですね。

 たぶん、問題意識を持って語れるか否かが、この映画を楽しめるか否かのターニングポイントではないかと思います。ただ楽しい映像を口を開けて待っているだけの人は、この映画を面白くないと思うかもしれません。というか、そういう大多数のファンを置き去りにしたことが、ガラガラの劇場という結果を引き起こしたのでしょう。

 もちろん、ガラガラでも私は面白かったのでOKです!

この感想にはまだまだ続きがあるぞ! なぜカミーユがジェリドを殴ってドラマが始まったのかを含めて!

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