オタクに関して久々に良い文章に出会えたので紹介します。
趣旨は以下のようなものだそうです。
ロフトの斎藤さんから、明日やる岡田斗司夫さんのイベント「オタクis Dead」に関連して「岡田斗司夫が“オタクは死んだ”と言っていることについてどう思いますか?」を書いてというアンケートが。
合間を縫って以下のような文面書いてみた。
たとえば、非常に良い文章というのは、このあたりです。
つまり大衆、っていうか子どもが一回楽しく消費してオワリなものに、いつまでも重箱の隅をつつくようにこだわってしまっている。
(中略)
でも僕が好きなものはガキの残りカス。永遠に完全には自慢できない。
この感覚は非常に良く分かりますね。
かなり近い感覚のような気がします。
しかし、これに近い感覚を明言している知り合いは一人しか居ませんでした。(ワンフェスで、ほとんど売れないマイナーな子供向けキャラの原型を作り続けている)。
そういう意味で、もしかしたら少数派の同志に出会えたような気持ちが起きたのかもしれません。
実際、私のアニメ感想で、きっちり毎週書いているのは、今やNARUTOの感想、ワンピースの感想、ポケットモンスターの感想だけですが、いずれも「子どもが一回楽しく消費してオワリ」という側面を色濃く持つアニメばかりです。
あと、どうしても気になってボウケンジャーを毎週見てしまうとか、監督が交代して好みではなくなったのに「かいけつゾロリ」を一応チェックしてしまうのも、同様の趣向でしょう。妖逆門やガイキングを毎週楽しみに見ているのも同様。
つまり、いい年をした大人が子供が見るものを見て、重箱の隅を突いて喜んでいるわけです(※)。後ろめたさや恥ずかしさが常に同居する楽しみと言えます。
※ たとえば、かいけつゾロリがおならパワーで地球を動かして巨大隕石との衝突を回避するシーンを見て、おならでゴラスをやるのかよ!とか言って喜んでみたりする。
そして、後ろめたさや恥ずかしさは、私にとって、本来そこにあるべき不可欠の存在だと思います。
大人のオタク向けに作られた作品など見ても、面白くも何ともありません。そこには、あえて見出すべきものがあまりに希薄だからでしょう。
でも、実際にはこういう感じ方をする人はほとんど見かけません。大多数はオタクは社会に認知されたとか、世界に通用する文化だなどと喜んでいる人達のように見えます。
ちょっと寂しい話ですが……。