2006年07月17日
川俣晶の縁側過去形 本の虫感想編 total 3076 count

日本沈没 第二部 小松左京 谷甲州 小学館

Written By: 川俣 晶連絡先

 まず、一気に読まされるぐらい、凄く面白かったのです。

 この面白さはただ者ではない……。2006年という今、アジアと向かい合う日本という視点、祖国を知らない世代とのギャップ、そして、圧倒的に追いつめられても戦い続ける日本人。

 スケール感の大きさと、地に足がついた描写が両立していることで、桁違いの面白さが出ていると思います。

 ただ、結末の部分は、どうも釈然としない部分が残ります。

 小野寺と玲子の再会シーンは、非常に抑えた描写で、好感が持てました。これをもって、この作品はハッピーエンドであるというのなら、それは納得します。

 問題は、そこにはありません。

 1つには、なぜ最後に君が代が歌われるのか。天皇という存在に1回も言及されないこの小説で、君が代を歌うということは、いったい何であるのか。鎮魂とあらたなる出発を暗示させる曲想だと書かれていますが、なぜそのような解釈になるのかさっぱり分かりません。地に足がついた説得力のある描写が続いているのに、この部分だけは急に浮いた感じがあります。

 ちなみに、これは解釈できないだけでなく、解釈できないことが気持ちの悪さを感じさせるという側面もあります。私は天皇制を否定する立場ではありませんが、天皇という存在が歴史的に常に手段として利用される立場である以上、天皇に関わる君が代という歌が使われる「意図」に関して、神経質に受け取らざるを得ません。

 もう1つは、最終的に日本を救えなかった首相が若い頃に日本の外を貧乏旅行した者であり、日本を救った元外相はほとんど海外に出なかった者である……つまり、コスモポリティズムは海外を強く知らない者によって提唱されたという皮肉な指摘です。

結論 §

 終わりよければ全てよしと言いますが、終わり以外の全てが良い小説はどのように評したらよいのでしょうか?