確かに面白いし、グイグイと読まされます。
読んでいて楽しかったかといえば、けっこう楽しかったと思います。
しかし、「では、これが傑作だと思いますか?」「満足しましたか?」と問われれば「否」と答えざるを得ない感じです。
イマジネーションが狭い。
世界が狭い。
価値観が狭い。
突っ込みが浅い。
これらの印象は否定できません。
あえて不遜なことを言えば、私の方がもっと書けるな……とすら思いました。
が、しかし §
が、しかし、対象読者層のことを考えると、広くて深い作品にすればもっと人気が出るのかというと、それはあり得ないでしょう。
要するに、対象読者層に相応の水準まで、世界観を矮小化し、世界や人間について深く追求しないことによって、これは大ヒット商品たり得ているのだろうと思います。
その点で、非常に優れた商品であると評価しても良いでしょう。
しかし §
しかし、単なる「優れた商品」以上のものではない感じです。
うーん、どう言えば良いのかな。
つまりですね。結局のところ、客を甘やかせすぎている点で、物足りないわけです。
この小説の対象読者層というのは、成長過程にあるわけです。精神面における人の成長というのは、様々な障害に遭遇し、それを乗り越えることによって達成されるという側面を持ちます。そのような観点から見た場合、「君の小さな居心地の良い世界」を肯定するのは健全な成長を阻害する悪辣な行為と言えます。客から金を巻き上げるには良い方法かもしれませんが、あまり良い商売ではないと感じるわけです。
そうか、これがセカイ系 §
と書いて気付きました。
世界の運命が、極身近な人たちの範囲で決まってしまうというのは、いわゆるセカイ系と呼ばれるジャンルなのですね。
WikiPediaのセカイ系を見たら、確かに「『涼宮ハルヒシリーズ』谷川流 」も入っていました。(『保護:このページ「セカイ系」は、保護の方針に基づき編集保護されているか、あるいは保護依頼中です。現在の記述内容が正しいとは限りません。ノートで合意を形成した後、保護の解除を依頼してください。』という但し書きは付いていましたが)
セカイ系は駄目なの? §
セカイ系だから、つまり、個人と世界の運命が直結しているから駄目……ということではないと思います。
ただ、このような世界観は、いともたやすく個人の万能感を肯定してしまう……、というリスクを持ちます。そのような万能感に対して、健全に突き放した視点を送り手と受け手が保持できるか……というあたりがポイントでしょう。
ちなみに、万能感というのは子供の精神が持つ属性であって、大人になる過程で強制的に剥奪されるものです。万能感を剥奪されることに失敗した子供は、自己評価の高さと周囲からの評価の低さのギャップに苦しめられ、その過程で周囲にも迷惑をかけたりします。
この小説でいえば、神であるハルヒが特別な存在であることに、さしたる理由がありません。更に、読者が感情移入する主人公キョンが、ハルヒから見て特別な存在であることにさしたる理由がありません。さしたる理由もなく特権的な立場を持つキャラクターを、あたかも自明の常識であるかのように受容して読む読者は、万能感に対する「健全に突き放した視点」が欠落していると言って良いと思います。そのような欠落を補填するための仕掛けも努力も見られないという点で、この小説は良いものではなく、悪いセカイ系の典型的な事例となっているような気がします。
念のために付記すれば、「悪いセカイ系の典型的な事例」イコール「ある種の層に強く支持され、よく売れる商品」そのものです。
惜しむらくは §
せめて、キョンが自分の推理で宇宙人と未来人と超能力者の秘密を暴いていればねぇ。向こうから教えてくれた……というのは都合が良すぎます。
ちなみに、ハルヒが名乗り出ろと言った4種類のうち、明示的に登場が描かれない異世界人はたぶんキョンのことでしょう。