ちょっと目先を変えた話です。
豪徳寺みやこと松原かおるはベスト(疑似)カップルになりうるか?というアイデアについて語ります。
豪徳寺みやこの特異性 §
みやこは、小さい頃にシャボン玉の上手な男の子、タカアキに出会います。再会を約束したにも関わらず会うことができませんでした。それでも、みやこはずっとタカアキのことを思い続けています。そして、モンスター化したタカアキと出会ったことで、タカアキへの思いはより強くなったことでしょう。
ゆえに、みやこには他の男の子と付き合うという選択肢がありません。
おしゃれが趣味のみやこですが、その目的は男達の気を引くというよりも、「社会的な自己の実現」つまり「他人から認められる何かになりたい」と強く願う心を満たすためかもしれません。
そして、「何かになる」ということは、タカアキにとっての何かになりうる可能性を持つわけです。
ゆえに、おしゃれであるのに年頃の男の子を身近に置くことができない状況が発生します。
しかし、おしゃれは一人で完結するものではありません。
やはり、ダンディに決めた異性とペアになって完成するおしゃれもあるでしょう。
それにも関わらず、みやこはそのような完成に到達することができません。
これが豪徳寺みやこの特異性です。
松原かおるの特異性 §
松原かおるは、女の子らしいファッション、たとえばスカート等を強く拒絶します。「女の子らしさ」のジェンダーを拒絶していると言っても良いでしょう。
しかし、女の子らしいファッションや女の子らしい話題を拒絶することは、男になりたいという願望とイコールでは結ばれません。
一見して、男の子っぽいファッションに身を固め、男の子っぽい言動を見せるかおるですが、それらは女の子らしさの忌諱と動きやすさを重視するスポーツ好きの合理性から導き出されたものに過ぎず、男になろう……という強い意志は見られません。
そのことは、かおるの恋愛観によく現れています。
かおるにとっての恋愛は、「男のように振る舞って女を愛する」ものではなく、「恋愛に関する話題は全て女の子らしいので避けたい」ものに過ぎないのです。
そう。男の子のように振る舞いつつも、恋愛に関する話題はストレートであろうとレズビアンであろうと関係なく、全て避けて通りたいのです。
しかし、そのようなかおるの望みは、世間から理解されることはあまりありません。
これが松原かおるの特異性です。
みやこのファッションを完成させる相手の条件 §
みやこが、「異性とペアになって初めて完成するファッション」を追求するとした場合、相手に要求される条件はどのようなものでしょうか?
まず、相手が男であってはなりません。しかし、男のように振る舞う存在でなければなりません。
そして、恋愛に関して本気になる相手であってはなりません。みやこのタカアキに対する気持ちがある以上、みやこが求めるものはファッションを成立させる形式としてのパートナーであって、愛を語る相手ではないのです。
そのように考えた時、実は松原かおるこそがその条件に当てはまるほとんど唯一の人物であると気付かされたのです。
まず、かおるは「男ではないのに男のように振る舞う」存在です。
それに加えて、「恋愛に対する強い忌諱意識」を持ちます。
つまり、みやこから見たかおるはベストのパートナーとしての条件を満たすのです。
かおるを理解し、肯定する相手 §
一方のかおるに決定的に欠落しているのは、かおるの理解者、肯定者です。
たとえば、かおるからサッカーを教わる少年は、かおるを肯定しますが、理解しているとまでは言えません。
理解と肯定の双方を示す他人は滅多にいないのです。
しかし、みやことなら、その双方を満たしうるでしょう。
ずっと一緒にパワパフZをやってきた以上、かおるへの理解はあるでしょう。そして、男の子っぽくありつつも恋愛の領域に踏み込むことを強く忌諱するかおるは、みやこから見れば極めて相性の良い存在です。みやこは、かおるを肯定し、このましい相手として歓迎できるのです。
つまり、かおるに欠落している理解と肯定を、みやこは与えうるのです。
かくして完成する(かもしれない)1枚の絵 §
このようにして、みやことかおるが擬似的ながらベストカップルとして成立しうる可能性が見えてきました。二人の相性はとても良いのです。
それにも関わらず、二人の関係に恋愛感情は入り込みません。
カップルといっても、これは疑似カップルに過ぎないのです。
けして、レズビアンの世界に入って行くことはありません。
そうです。これは異常性愛の話では全くないのです。
抱え込んだ心の痛みを補い合い、一緒に生きていく可能性としての疑似カップルなのです。
なんてね! 信じては駄目だぞ! §
とまあ勝手に妄想を突っ走らせて書いてみましたが、確たる根拠のある話ではありません。けして信じてはいけないぞ!