2006年11月23日
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止まっていた時計の針は再び動き始めた・Windows Vistaリリースのインパクトは見た目の何倍にも大きい!

Written By: 川俣 晶連絡先

 書きたいと思ったので書きました。

 しかし、内容は事実と思わず、眉に唾を付けて読むのが適切でしょう。けして信じ込んではいけないぞ!

概要 §

 Windows Vistaを、お客さん気分のテスト環境ではなく、常用環境にインストールしたことで「止まっていた時計の針は再び動き始めた」と感じました。

 この感じは、これが最初ではありません。

 過去にも、同じようなことがありました。

 つまり、主要なOSのメジャーバージョンアップが長期間行われない時代があったということです。

 そして、そのような期間には健全な競争、健全な議論が後退し、変な主張が横行する……といった事態もありました。そのような状況は、過去数年間の状況に酷似すると言えます。

 更に言えば、健全な主要OSのメジャーバージョンアップは業界とユーザーに大きな刺激を与え、業界秩序の変革さえ起こりうると言えます。

 その話題について書きます。

DOS 3.xで止まった時計の針 §

 時計の針が止まった時代といえば、DOS 3.xの時代が思い出されます。

 DOS 5.0が出現するまでの長期間、DOS 3.xがパソコンを支えた時代は長かったと言えます。アメリカでは中継ぎのDOS 4.xが出たものの、日本では事実上発売されませんでした。

 さて、なぜ時計の針が止まったのかといえば、それは次世代の本命となるOS/2への注力と、DOS 4.xのあまりの出来の悪さに原因があると言えます。そもそもDOSというのは、OSと呼ぶにはあまりに非力な「代用品」でしかない存在でした。それゆえに、より確かな「本物」を求めるニーズは高く、OS/2はその理想を叶えるものであり、DOS 4.xとはDOSの範囲内での理想的な発展形を目指したものだったと感じます。

 しかし、現実の非力なパソコンで使うには重すぎたり、DOS 4.xはそもそもプログラムの完成度が低かったり、理想を求めれば求めるほど泥沼に深く入り込む悪循環に陥ります。

 その間、理想には遠かったはずのDOS 3.xがパソコンを支えるOSとして使われ続けたわけです。

 そして、そのような時代には、32bit CPU不要論(高速16bit CPUの方が安くて速いから)といったトンデモな意見が、あたかも正論であるかのように横行したのも事実です。

DOS 5.xで動き出した時計の針 §

 IBMが作ったとされるDOS 4.xのあまりの出来の悪さにMSがぶち切れて同水準のOSを作り直したのがDOS 5.xということになるようです。

 DOS 5.xは軽量で完成度も高く、事実上「最後のDOS」として幅広く使われます。(ちなみに、MSのDOSは6.xまで、IBMのDOSは7.xまである)

 さて、軽量かつ強力なDOS 5.xの出現は、実は業界秩序を塗り替えるある事件に強く貢献します。それは、NECの98シリーズからDOS/Vパソコンへと、主流が切り替わる事件です。

 DOS/Vというのは、ソフトウェアで日本語を全て処理する関係上、どうしてもメモリ消費量が多くなり、システムも重くなります。DOS/VはDOS 4.x時代に生まれていますが、本格的に普及するのは5.x時代になってからです。

 つまり、止まった時計の針が動き始めることで、業界秩序を変える動きの助けになったと考えられるのです。

Windowsで動き始めた時計の針 §

 既に名前が出たOS/2というOSが本当に止めたのは、実はWindowsの時計です。

 IBMとMSが共同で開発するOS/2は、それと競合する製品の開発を強く抑圧しました。

 もちろん、OS/2が迅速に市場に投入され、それが誰もが期待した通りに軽く実用的に動けば問題ありません。似て非なるものは要らないのです。

 しかし、実際にはOS/2の開発は遅れ、出てきた製品も重くぱっとしないものでした。

 その結果として、IBMとMSは決別し、IBMは自分が提案したOS/2を抱え込み、MSはWindowsを発展させていったわけです。

 IBMからの決別という位置づけとなるWindows 3.0はまさにOS/2と競合する機能(プロテクトモードでの動作)を抱え込んでおり、止まっていた時計の針を動かした存在と言って良いでしょう。

MSの日本語ワープロが冗談だった時代 §

 Windows 3.0はやはり業界の秩序を塗り替える事件と強く関係します。

 それは、日本語ワープロのナンバーワンの座の交代という事件です。

 今でこそ、MSのWordはナンバーワンの日本語ワープロとして有名ですが、Windows 3.0が発売された頃には、一太郎こそがナンバーワンの日本語ワープロでったわけです。その時点で、MSが日本語ワープロを作るという話をしても、非現実的でありすぎて冗談にしか聞こえなかったと思います。

 しかし、Windows 3.0発売後に、MSは最初の日本語ワープロのWord 1.2を世に送り出します。そして、Windowsの発展と連動し、いつの間にかナンバーワンの座はWordのものになっていました。

時計の針を止めること、動かすことの意味 §

 時計の針が止まると、世の中の動きが鈍ります。その結果として、あたかも不動の世界秩序が存在するかのような錯覚が生まれます。実際には人も社会も変化し続けているにも関わらず、世界は変わらないという前提で物事を捉える考え方が主流になります。

 たとえば、32bit CPU不要論というのは、まさに「世界は変化しない」というとらえ方から来る必然的な帰結です。

 しかし、人や社会が持つ変化への欲求が消えるわけではありません。それは社会の中にストレスとして蓄積されていきます。

 そこで、唐突に時計の針が動き始めると、そのストレスが一気に噴出します。その勢いは、業界秩序さえ塗り替えるだけの大きさを持つと言えるかもしれません。

これを今に当てはめると §

 ここ数年の状況は、このような状況認識によく当てはまります。

 たとえば、オープンソースやJavaが持つトンデモな空気は、「世界は変化しない」という捉え方を前提に据えると筋が通る解釈が可能になります。たとえば、「世界は変化しない」ということは、業界秩序を塗り替えるような画期的なノウハウが新たに生まれることはあり得ず、ソースコードは単なる交換可能な労力の集積体に過ぎないことになります。そのような世界観においては、ソースコードを公開して相互に利用する行為は合理的でリーズナブルな選択となります。また、単一のプログラム言語、単一の仮想マシンで全てのコンピュータのニーズを賄うというJava的な発想も、やはり「世界は変化しない」という前提によって合理的な選択となるものです。突発的に新しい特殊なニーズが生まれるような状況が無ければ、全てを1つに統一するのはとても合理的です。

 しかし、実際の世界は変化し続けています。

 こういった考え方が、あたかも合理性を持っているかのように見えるのは時計の針が止まった時代の特異的な錯覚に過ぎないと見る方が適切でしょう。

そして時計の針は動き始めた §

 そうなんですよ、奥さん。

 時計の針は動き始めてしまったわけです。

 世界は静かな安定という錯覚を脱ぎ捨て、凶悪かつ不安定に変化し続ける真の姿を見せ始めるでしょう。

 そのような状況を正しく受け止めるとすれば、当然のように業界秩序の劇的な変化……つまり当たり前だった常識が塗り変わることも起こりうると思います。