2006年12月07日
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神様のパズル 機本伸司 角川春樹事務所 (感想の続き)

Written By: 川俣 晶連絡先

 うっかりしていました。

 後から気付いたことをメモするために、感想の続きを書きます。

 この作品を評価するために"SF"という用語を持ち出したことは全く間違いでした。

 より適切な言葉は"セカイ系"です。

 更に言えば、この作品は"セカイ系"として貫徹していません。"セカイ系"作品が持つ構造的なおかしさ、気持ちの悪さを最終的に表象に浮上させてしまいます。しかし、それは"セカイ系"批判と呼ぶことはできても、代案の提示までは進行していません。

 もう1つ、"セカイ系"ではないかのように偽装する仕掛けが入っていることも注意点です。

何がセカイ系なのか §

 WikiPediaのセカイ系の概要から引用します。

セカイ系における世界とは、主人公とヒロインを中心とした主人公周辺しか存在しない。主人公とヒロインの人間関係・内面的葛藤等が社会を経ずに世界の命運を左右していく。場合によっては主人公とヒロインの関係が世界より上位にある。

 一見、この作品は、この条件に当てはまらないように見えます。なぜなら、巨大加速器や農家のような「主人公周辺」から見れば遠く離れた異物が登場し、常にヒロインを圧迫する「社会」が意識されるからです。

 ところが、実際に読み進むと、これらの要素は「主人公周辺」の世界に縮退していきます。

 巨大加速器はヒロインの持ち物同然となり、農家はおばあさんが入院した結果として農家は農業経験者の主人公の持ち物同然となります。そして、ヒロインを圧迫する「社会」は、ほとんどのケースにおいて間接的なマスメディアやインターネットの姿を取って出現し、生身を持つ具体性をあまり見せません。

 そして、世界的な天才であったはずのヒロインの優秀な父親が、おちこぼれ寸前の学生に過ぎない主人公を指導する助教授だと判明した結末において、世界のスケールはまさに「主人公周辺」と等価にまで縮退してしまいます。

 一方で、主人公とヒロインは、あまりに未熟な子供でありながら、宇宙の運命を握ってしまいます。実はここがこの作品の最大の逆説になるのですが、彼らは宇宙を作り出す方法を探していたはずなのに、実際に発見したのはこの宇宙を滅ぼす方法です。そして、ヒロインはそれを自分の判断だけで発動可能という立場に立ちます。

 つまり「主人公とヒロインの人間関係・内面的葛藤等が社会を経ずに世界の命運を左右していく」という条件を満たします。

 更に、破滅を阻止したのは、主人公との人間関係あるとすれば、「場合によっては主人公とヒロインの関係が世界より上位にある」という条件も満たすことになります。

セカイ系の不快感とは何か? §

 セカイ系とは、世界を救うことはできても、日常のつまらない問題の数々を解決していく能力を持たない世界観である……といったあたりが妥当な解釈でしょうか?

 彼らは世界を救ったにも関わらず、その後に待っているのは栄光の日々ではありません。

 ヒロインは当たり前の子供として平凡な人生をやり直すだけ。主人公はオヤジの知り合いがいる会社にしか就職できません。

 更に、世界を滅ぼす方法がフェイクでしかなかった可能性すら示唆されます。

 これはもう、世界を救うヒーロー性の否定に他なりません。

 作品前半に提示された主人公がヒーローになりうる漠然とした予感に引かれて読み進んだ読者からみれば、これは不快な結末と言えるでしょう。

 ちなみに、非常に優れたセカイ系作品と評価した小説「涼宮ハルヒの憂鬱」からは、このような不快感が注意深く除去されています。

念のために補足するなら §

 実は、この種の不快感は除去すれば良いというものではありません。

 なぜなら、作品構造が必然的に抱え込む不快感は、いくら除去したところで、何かの切っ掛けで読者に意識されてしまう可能性を持つからです。

 そういう意味で、除去するよりは提示する方がより誠実である……という評価を下すことは可能でしょう。

 しかし、たとえ誠実であっても、不快感を提示する作品はエンターテイメントを期待する読者に提示するのは不誠実です。