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くりこは男の友情について一連のうんちくを語るが、結果として彼女の主張は間違っていなかった。しかし、その友情が何かについて、くりこは理解することができない……。あるいは、理解できるにも関わらず理解を拒否しているのだろうか。
トーノZERO, THE BELKANアニメ感想家(笑)のアニメ感想を参ります。
今日のパワパフZの感想。
サブタイトル §
第24話「ケンの友達探し! その1」「ケンの友達探し! その2」
あらすじ §
ケンは既に飛び級で大学院を卒業し、博士号まで持っていました。
しかし、ガールズに勧められて、再び年齢相応の学校に通うことにします。
クラスには、ももこの妹のくりこと、ケンを敵視する少年の丈がいました。
一方、モジョはTVで猿知恵と馬鹿にされ、知性と教養を求めて学校に来ます。
暴れるモジョから丈はケンを助け、友情が芽生えます。
知性と教養を主張するモジョに、ケン、丈、くりこはなぞなぞ勝負を挑みます。
それに正解できなかったモジョは、自爆して飛んでいきます。
ケンは簡単すぎる学校をやめますが、丈達とは一緒に遊ぶ友達になっていました。
感想 §
人間は誰しも平等ではありますが、対等ではありません。
ケンも立場もまた、多くの者達と対等ではない関係を持ちます。
たとえば、ガールズとケンは対等ではありません。本質的にはケンの方が優位にありますが、ガールズに可能な仕事をケンはこなすことができないという意味で、一方的な優位とまでは言えません。
当然、ケンが同年代の子供達と向き合う時も、両者の関係は対等にはなり得ません。
ところが、ケンが小学校に再入学し、一人の生徒になるというプロセスを経ることでケンと丈、くりこは対等の立場に立つことになります。同じ教室に並んで座り、同じ先生から教わるわけです。体育になれば、全く平等にぶつかり合うことになります。
それにより、ケンと丈、そしてくりこは、肩書きや立場抜きの「ありのままの自分」をぶつけ合い、互いを見定めようとします。
ここで素晴らしいことは、この3人がいずれも真っ直ぐで強い「ありのままの自分」を持っていることです。
それを確かめ合うことができれば、そこに真の友情も可能となるでしょう。
あらゆる外的な要因を取り去ったそのあとに残る「ありのままの自分」とは、何が起こっても最終的に残る絶対的な信頼の拠り所になるのです。
だからこそ、ケンは立場の違いを超えて、丈と遊ぶということが可能になるのでしょう。
素晴らしいですね。
今回の一言 §
猿知恵と馬鹿にされ、知性と教養を証明するために猿知恵の限りを尽くすモジョ。実に可愛い奴ではありませんか!