2007年01月13日
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『劇場版ロックマンエグゼ 光と闇の遺産』隠された本質・作品のテーマ・評判が良い意外な理由!?

Written By: トーノZERO連絡先

 『劇場版ロックマンエグゼ 光と闇の遺産』に関する話題は、一応これで終わりとする予定です。

 つまり、これが結論編となります。

 ここでは、隠された本質を考察することを通して、作品のテーマと評判が良い理由について考えます。

この台詞が最高だ! §

 この映画で私が最も好きな台詞は、熱斗を先に行かせて戦闘メカと戦うライカと炎山が交わす以下の会話です。

ライカ「くそ、いったい何体いるんだ」

炎山「さあな。あいつの苦しみよりは少ないだろう」

 ここで、ライカは目の前の敵の数を問題にしていますが、炎山は熱斗の心の痛みを問題にしています。

 実際、熱斗の心はとても大変な状況にあります。爺さんの作ったプログラムが地球を危機に陥れ、父親は捕らえられ、友達はみんな非物質化されているわけですから。しかし、熱斗はそのことをあまり顔に出していません。

 とはいえ、顔に出していないからといって、痛みは大したことがない……と考えるのは誤りでしょう。熱斗は父を助けるため、ネットセイバーとして地球を救うため、あるいはあまりに悲しみが大きすぎて感情として見せることすらできないため、本当の心を表に出していないだけなのです。

 そのことを、炎山は正しく理解していたわけです。そして、熱斗の苦しみを和らげてやるためには、どれほど敵が多くともここで踏みとどまって、これらの敵を熱斗のところには行かせないようにする必要があると承知しています。だから、炎山は敵の数を問題にしません。どれほどそれが多いとしても、炎山が受け止める気になったネットの苦しみを考えれば、それを全て撃破しなければならないのです。

 しかし、炎山はそのことをストレートには言いません。こういう回りくどい言い方しかしないわけですね。

 つまり、熱斗が本音を隠しているのと同様、炎山も本音を隠しているわけです。

 だからこの会話は、押しつけがましさのない、友を思いやる良い台詞です。

 「隠された思いやり」という主題が炎山には確かにあります。

繰り返される「隠された思いやり」 §

 そのように考えると、実は映画の中で「隠された思いやり」が反復されていることが分かります。

 まず、バレルとカーネルの行動はまさにそれに該当します。バレルは最後の最後まで自分の正体や意図を熱斗達に明かしません。つまり隠されています。しかし、バレルは熱斗とロックマンに対して全面的な支援を表明し、事実として支援を行っています。まさに、「隠された思いやり」です。

 また、廊下の椅子で熱斗を慰める光祐一朗というシーンは、熱斗に対する父親の思いやりの心が描かれています。このシーンは、心情を隠してはいません。父は息子の心を正しく理解して言葉を投げかけ、それによって熱斗はおそらくこの作品中でただ1回、真の心情を顔に見せます。

 しかしこのシーンは、開かれた廊下というパブリックな空間で起こった出来事を描いているにも関わらず、逆説的に父と息子だけのプライベートな世界を描いています。人前で行っていないという意味で、これは「隠された思いやり」です。

 更にクライマックスにおいて、ロックマンとフォルテが見せるドラマも、「隠された思いやり」そのものと言って良いでしょう。

 ロックマンは熱斗を救うために、自分の身体を投げ出し、フォルテに究極プログラムを使わせようとします。その際、ロックマンの本音はなかなか出てきません。まず、地球が消えてしまうから、人間が消えてしまうから……と言った後でなければ、熱斗の名前は出てきません。この映画において、ロックマンがいかに熱斗を強く思いやり、気に掛けているかは、この瞬間に漏れ出てくるまでは隠されています。

 まさに「隠された思いやり」です。

 そして、Dr.リーガルがロックマンとフォルテを道連れに裏電脳世界に消えようとしたとき、フォルテは動けないロックマンを攻撃し、ログアウトさせます。このときのフォルテの態度はけして友好的には見えません。しかし、このとき、ロックマンを心配し、呼びかける熱斗の声がフォルテにも届いていたはずです。フォルテは、ロックマンにとっての大切な人間、ロックマンを大切に思う人間がそこにいることを認識した上で、自分を犠牲にすることによってロックマンをその人間のところに戻そうとしたのでしょう。それは、ロックマンに対する思いやりの心でしょうが、フォルテはけしてその心をストレートに表情に見せたりはしません。「人間を忌み嫌う」と公言するフォルテは、「思いやりを隠す」という手順を踏むことを通じて、熱斗という人間を愛するロックマンを助けたのです。

見終わった後味が良い理由 §

 この映画は、ある意味殺伐としています。

 女性陣の大半は途中で非物質化されて退場し、その後にあるのは延々と続く会議室のシーンや戦いのシーンばかりです。

 それにも関わらず、見終わった後味が良い理由は、この作品が繰り返し反復して描いているものが「思いやり」だからでしょう。

 しかし、「思いやり」を描きさえすれば後味が良くなる訳ではありません。押しつけがましい「思いやり」は、逆に後味を悪くすることすらあり得ます。

 ですが、この映画は「思いやり」を「隠す」ことによって、そのような悪い結末を回避しています。

 だからこそ、見終わって気持ちが良いのです。繰り返し見たいと思わせるし、評判も良いのでしょう。

隠されたテーマ §

 この映画は、全体として地球を救うドラマを描いています。

 しかし、地球を救うことは、実は本質的な意味でテーマではないと言えます。

 隠された本当のテーマは「思いやり」だったわけです。

終わりに §

 この映画には多くの問題があります。

 それにも関わらず、これは素晴らしい映画です。

 細部までこだわったディティールと、見る人の心を暖かくするテーマ性の両立は、凡庸の映画を容易に凌駕する価値を与えてくれます。

 しかし、本当に凄い映画と比較すると負けてしまう部分があるのはやむを得ないところでしょう。

 それでも、この映画は好きだと断言できます。

 これは良いものです。

オマケ・VS 遊☆戯☆王デュエルモンスターズGX §

万丈目準「名人さん!」

名人「さんは要らないぞ、万丈目!」

万丈目準「万丈目さんだ!」