2007年04月22日
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TVアニメ「地球へ」の背後にうごめく大きな闇・それは今だから大きな問題であるのか?

Written By: トーノZERO連絡先

 1977年連載開始の「地球へ」が、30年も経った2007年になってTVアニメとして放送開始されています。

この微妙な感覚は何だろう? §

 あまり見る気はないものの、何気なく見ていると感じる微妙な何かがあります。

 肯定でも否定でも、良いでも悪いでもない、どこかしっくり馴染む感覚と言ったら良いでしょうか。

 COMICリュウ2007年6月号の竹宮恵子と出渕裕の対談を読んで、その理由が何となく分かりました。

 つまり、作り手もリアルタイムでコミックス「地球へ」を体感したファン世代であり、それは私と完全に同じ目線で作品に向き合っていることを意味します。

 当時、私は杉並区の永福図書館の児童室に入り浸っていましたが、そこでは「マンガ少年」を毎月入れていました。そして、必然的に手塚治虫「火の鳥」、松本零士「時間旅行少年ミライザーバン」などと一緒に、「地球へ」も第1話からリアルタイムで雑誌連載を追って読んでいたことになります。

 そういう読書体験が本質的にスタッフと共有されていることが、善し悪しを超越した馴染む感覚を産んでいるのかもしれません。

が……しかし、これは最悪だ §

 しかし、こうしてTVアニメを3話ほど見て気付いたのは、この作品は本質的な意味において、「最悪だ」という事実です。

 この作品は超能力者(ミュウ)が排斥される社会を描きます。たいていのミュウは身体に障害を持っています。それを補うような形で超能力を持つと言います。

 そして、主人公のジョミーは、身体に障害を持たないミュウとして、ミュウのリーダーであるソルジャー・ブルーに見出され、その後継者になります。

 このことは、主人公が特権的な主人公である理由を、主人公自身の努力によって獲得していないことを意味します。まず、「身体に障害を持たないミュウ」という生まれつきの特性によって、ジョミーは他の一般人よりもミュウよりも強い存在となります。そして、ミュウのリーダーになるという道筋は、彼自身が望んだものではなく、ソルジャー・ブルーによって与えられたものです。

 この物語構造は、最近実社会上で典型的に見られる(ように思える)以下のような精神構造を肯定する作用を持ちます。

僕は本当は誰よりも優秀であり、やればできるのに、誰もそれを認めてくれない。どこかに、こんな僕を必要として歓迎してくれる場所があるはずだ。

 つまり、「認めてくれない僕の優秀さ=ミュウの能力」、「僕を必要として歓迎する場所=ミュウの社会」という連想を繋ぎ合わせると、上記のような精神構造を肯定する物語構造を持つと言えます。

 しかし、この精神構造は、本来子供から大人になる過程に体験する「僕は何ら特権的な存在ではなく、優秀でもなく、世界の中心にもおらず、名もないその他大勢の一人に過ぎない」という事実の承認を回避した状況に過ぎません。

 言い換えれば、ジョミーの立場に共感するかもしれない「(年齢を問わない)少年達」とは、ジョミーのような特別な資質を持っていないにも関わらず、持っているはずだと信じなければ生きていけない存在です。

 そして、このような心理は「病理」と言うしかないものであり、社会的引きこもりのような状況を引き起こしている可能性も考えられます。

相対的な「地球へ」の物足りなさとは §

 たとえば1970年代を代表する作品として、宇宙戦艦ヤマトと比較すると、「地球へ」に私が感じた物足りなさの原因が見えてくるという印象を受けました。

 宇宙戦艦ヤマトの主人公、古代進は、ヤマト艦長沖田十三の後継者となり、艦長代理に就任します。

 しかし、古代進は最初から特権的な立場に立っていたわけではありません。当初ヤマトにおけるナンバーワンの立場は艦長であり、戦闘班長という古代の立場はナンバーツーといえます。しかし、その立場は航海班長の島大介と同格であって、古代だけがナンバーツーではないのです。更に、年長者である真田、徳川、佐渡らの者達も無視できない存在感を持っています。沖田に何かあったときの後継者が古代でなければならない理由は、少なくともヤマトが発進した時点では存在しません。古代が決定的に沖田の後継者としての道を歩き始めるのは、沖田が病床にある時に艦内をまとめて独断で波動砲を撃ってからです。この時点で、初めて古代はヤマトのトップに立つことが可能だという資質を、自力で示して見せたのです。

 更に言えば、古代が戦闘班長をやっているのは、ベテランの宇宙戦士がほとんど残っておらず、なおかつ宇宙戦士訓練学校で特殊訓練を受けたためです。

 ここで古代とジョミーの間には、非常に大きなコントラストが見て取れます。

 ジョミーは滅多に生まれない「障害を持たないミュウ」であって、状況が多少変わっていても、その価値に変化はありません。

 しかし、古代進の立場は違います。もしも、半年早く一人前の宇宙戦士になっていたら、そのまま沖田艦隊のいずれかの艦に配属され、そこで名もない乗組員の一人として艦と運命を共にしていた可能性もあり得ます。

 そして、他の誰でもない古代がリーダーになる決定的な理由は、他人から与えられたものではなく、「命令違反になろうとも波動砲を撃つ」という強力なリーダーシップを自分で発揮して見せた点にあります。つまり、古代とは、名もないその他大勢の立場から自力で艦長代理まではい上がった少年だと言えます。(※)

※ このように考えると、宇宙戦艦ヤマトIIIで、古代が砲術志願の土門を生活班に配属してはい上がらせた理由も見えてきます。土門は、ガルマンウルフの攻撃を見抜き、自らの有用性を証明してから初めて第1艦橋に勤務できるようになります。

 このような比較を行ってみると、古代進に比べてジョミーの立場には物足りなさが生じることもやむを得ないところでしょう。

成長を描く竹宮恵子 §

 とはいえ、大人になる過程で「本当は誰よりも優秀な僕」が否定されるドラマを竹宮恵子が描けない……ということではないと思います。

 ずっと昔に竹宮恵子原作のアニメ「夏への扉」を見たことがありますが、これはそのようなドラマだったような気がします。

 もはやうろ覚えですが、合理主義を標榜し、知的なクールさを身にまとう主人公の少年が、女を知ることでその合理性を崩壊させていくドラマだったと思います。

 そして、アニメとしては「夏への扉」は「地球へ」よりも後から作られていますが、原作は「夏への扉」の方が先行しています。

 当然、竹宮恵子は、「本当は誰よりも優秀な僕」が否定されるドラマ描けるにも関わらず、あえて「本当は誰よりも優秀な僕」を肯定するドラマを「地球へ」で描いたことになります。

 それはなぜでしょう?

決定的な時代の差とは何だろう? §

 30年の時間の差は、物事を見る価値観が決定的に違うことを意味します。

 1977年という時代は、社会的ひきこもりという言葉もなく、ニートという言葉もなく、フリーターという言葉もなく、自分探しという言葉もなく、終身雇用も有効であり、豊かになったとは言ってもまだ1980年代のバブル景気は未体験の時代です。

 この時代、子供が成長するということは、必然的に社会が必要とする場所に送り込まれることであり、その過程で自動的に「本当は誰よりも優秀な僕」という幻想はルーチンワーク的に叩き潰されていたのでしょう。

 つまり、「君は何ら特別な存在ではない。機械のように仕事をして、それが終わったらビールを飲みながら巨人戦をTVで見る程度の娯楽で満足すべき存在なのだ」という圧力に晒される子供達に対して、「でも、君には何か隠された才能があるかもしれない」とささやかなエールを贈ることは価値があったのかもしれません。人生の未来を諦めて働くよりも、ささやかな小さなものであっても、何か夢を抱き続ければ、それだけで人生は豊かになります。

 それは、過剰に「僕」を肯定してしまうことを通じて、社会的な問題を発生させている現在の状況とは、決定的に異質な時代への1つのメッセージと言えるのかもしれません。

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