うーん、参ったなぁ。
凄い内容をやっているではありませんか。
思い通りのならない現実 §
このエピソードの本質は、繰り返され、阻止できない悲劇です。
何が起きるのか分かっているのに、それを阻止できません。
人の愚かさそのものがテーマと言っても良いでしょう。
人は愚かであるがゆえに、視聴者も「分かっているのに避けられない悲劇」を自分のことのように共感できるわけです。そして、共感して悔しがります。
このエピソードでは、それが2つの側面から描かれます。
1つは、人間サイドから。20年前の悲劇の経験者であり、鬼太郎に助けられた男は、今回の悲劇を阻止しようとしますが、それを阻止できません。そして、一緒にそれを体験した若者は、次の悲劇を阻止することを心に誓って撮影所を辞めていきます。しかし、次も阻止できないだろう……ということが示唆されます。
もう1つは、鬼太郎サイドから。鬼太郎は、20年前に2人の人間を悲劇から助けられなかったことを悔やんでいます。そのため、2回も警告したのまた繰り返す人間の愚かさに愛想を尽かしつつも、人間達を助けに撮影所に乗り込みます。しかし、全てが終わったと思って帰る途中で、愚かな人間2人が犠牲者になったことに気付きます。気付いても、もはや手遅れなので、鬼太郎はそのまま帰って行きます。無念を噛み締めながら。無念さがあるために、きっとまた鬼太郎は人間を助けに行くでしょう。
バカップル §
更に面白いのは、視野の狭いバカップルが状況を引っかき回して悪化させているところです。
これはもう人の愚かさの典型例のようなものですね。
妖怪に食われたふりをして、準主役の若者を呼び出して閉じこめてみたり。
しかし、結局彼らも本当に妖怪に食われてしまいます。
何も良いところがありません。
この「良いところがない……」というところが、これ以上ないぐらいの人間くささと言えますね。
僕らは、しょせんこのバカップルと大差ないレベルで生きているのだ……、という事実は噛み締められねばなりません。
だから、僕らはこのバカップルの気持ちが手に取るように分かるし、彼らが食われるという結末は、物語を終わらせるに相応しい重みがあるのです。
妖怪に食われたのは、実は僕らそのものなのです。