トーノZEROのアニメ感想です。
今日のポケモン映画の感想。
サブタイトル §
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ポケモンレンジャーと蒼海の王子 マナフィ
あらすじ §
WikiPediaの同映画の項目等を参照。
感想 §
この映画のテーマは、おそらくハルカにとっての「男でも女でもない子供という存在」から「母であり女である」存在への成長でしょう。
実にハルカらしい……という感じですが、子供から女らしい女を経由せず、そのまま母という段階に踏み込んでしまいます。過剰な華やかさが似合わない質実剛健なハルカらしいといえばそうでしょう。
更に言えば、ハルカが急速に「女であり母である」存在になることで、隣にいるサトシも「男であり家族を護る者」へと変貌します。このサトシの変貌はかなり意外で嬉しい感じでしたね。ハルカの変化だけが主題かと思いきや、それを護るサトシの格好良さまで見られるとは。
更に感想 §
今回の作品で象徴的なアイテムは頭のオシャレでしょう。
つまり、サトシの帽子と、ハルカのバンダナです。
バンダナとは、ハルカにとってある種の日常を象徴するアイテムでしょう。そして、当初、日常とは子供であることとイコールです。
しかし、この作品ではハルカがバンダナを付けていないシーンが多いのです。それは、ハルカにとっての日常からの逸脱を示すのでしょう。
ところが、ジャッキーからマナフィとの分かれが訪れることを知らされたハルカは、バンダナを再度身につけようとします。これは、ハルカが元の子供の世界=日常の世界へ回帰しようとしたことを表現しているのでしょう。ところが、この回帰は失敗します。バンダナは飛ばされて海に落ちます。これは、ハルカの心がもう子供の世界に戻れなかったことを意味するかもしれません。
その後、マナフィが取り戻したバンダナをハルカは身につけます。それはハルカが日常に回帰したことを意味しますが、その日常は既にかつての日常とイコールではありません。ハルカは、自分が「母」であるという状態を意識的に受け入れ、それを日常とする現実を受け入れたのでしょう。だから、同じバンダナを頭に付けていても、ハルカの日常はもはや同じではありません。
一方、サトシの方は、帽子を後ろに回すシーンがまさに「男であり家族を護る者」になるという決意表明に見えます。
もっと感想 §
母になるハルカの描写も素晴らしいですね。
最初のハルカのタマゴキャッチもシーンからして素晴らしい。
その後、戸惑いを経て、子供を受け入れ、愛し、そして子離れという試練に晒されます。しかし、自分で、マナフィの側に居続けることに決めます。これが母の強さでしょう。
そして、母の強さを示す女性とは、男が身体を張って護る価値がある存在です。
ハルカを水から助け上げるサトシのシーンは、夫婦のようでもあります。それは、護る価値がある=護られる価値があるという関係を自明のものとして受け入れた男女の姿だからでしょう。
そして、ハルカとポケモン達を護ろうとするサトシの格好良さは特筆に値します。
そのサトシを前に、けして「私も行く」とは言わずに護られるハルカの表情も素晴らしい。実に良い映画です。
もう1つだけ §
マサトを抱えて潜水艇に戻りましょう、というヒロミは、本作におけるもう1人の「母」だったと言えますね。
今回の一言 §
序盤に見られるハルカとブイゼルの名コンビっぷりもいい!
マリーナ一座と一緒に河原で食べる朝食シーンもいい!
繰り返される喫水線下の表現もいい!
球形艦首の展望室は、ちょっと海底3万マイルを思い起こさせるナイスなアイデアシーンでいい!
船上の背景に洗濯物が並んでいるシーンもいい!
料理を手伝うのはタケシというシーンもいい!
ヘイガニもいい!
皆既月食の時だけ見えるというアイデアもいい!
出しゃばりすぎないで、ちゃんと見せ場を作って印象を残すジャッキーもいい!
最後にしっかり出現する海の王冠のアイデアもいい!
いや~、途中でハラハラしましたが、見終わってみると実に良い後味の映画ですね。
そして補足 §
しかし、そのような映画である以上、これは「ポケモンの映画」ではありません。
あくまでマナフィを中心とした「人間達の映画」です。
ですが、ポケモンレンジャーという「ポケモンを道具として使う存在」を出す以上、やむを得ないことでしょう。サトシやハルカの「仲間」としてのポケモンと、ポケモンレンジャーが使役するポケモンは、同じ画面の中で上手く整合しません。どうしても共存させたいと思うなら、物語の主要な役割を背負わせない……という選択しかないのでしょう、たぶん。