前に少し書いた話題です。
板野サーカスのトラウマをACE COMBAT 5で解消している……という話です。
板野サーカスとは、アニメータの板野一郎が行った戦闘シーンの作画スタイルを意味します。
ここではより具体的に、超時空要塞マクロス(初代TVアニメ版)のバルキリーの戦闘シーンとしましょう。
さて、ここでいうバルキリー(VF-1)とはロボットに変形する戦闘機です。
しかし、ここでの主役はロボットではなく、スピード感と、とてつもなく多いミサイルの数というべきでしょう。
更に言えば、多くの人々が見落としていますが、3次元的に把握されたカメラワークのダイナミックさと、官能的な動きのタイミングが特徴的だと思います。それらは、大多数の板野サーカスもどきが描き得なかった真の「価値」だろうと思います。
板野サーカスの問題とは? §
そりゃもう、見ている側にトラウマを残してしまったことでしょう。
圧倒的な映像に、ただただ圧倒されるしかないわけですから。
しかも、マクロス放映当時はビデオデッキの普及期にもあたり、コマ送りでアニメを見ることがやっと可能になった時期でもあります。
そして、コマで送れば圧倒的だと思った以上の情報量が描き混まれていることが分かって更にトラウマを深くします。
デザインや理屈の問題 §
しかしまあ、そういった問題は、時間を掛けてじっくりと解きほぐしていけば、いつかは解消できること……でもあります。
そう思っていました。
ところが1つだけ解消できないものがあったのです。
残されたトラウマ §
板野サーカスを見ていた「私」が、コンマ1秒が問題にされる高速戦闘の当事者として、それに勝てないという問題です。
たとえば、マクロスの作中で天才パイロット、マックスが見せるような凄い戦闘を「私自身」が実現しようがない……ということです。
これには2つの意味があります。
1つは、そのような機体を操縦する立場にはなり得ないということ。(シミュレータであっても。少なくとも当時は)
もう1つは、たとえ操縦できても、凡人の自分にはマックスのような操縦はできないということ。
つまり、マクロスのような官能的なフライトを自分のものにすることはできない……と思われたわけです。
ACE COMBAT 5という解決の切り口 §
ACE COMBAT 5は、ACE COMBATシリーズの中でも戦闘機の機動性が高めに設定されています。初期装備のF-5Eでも相当自由に自機を振り回せます。
そして、いざ空戦になればコンマ1秒が問題にされる戦闘が繰り返されます。
ぎりぎりまで敵を引きつけて攻撃しつつ、ミサイルアラートが鳴った瞬間に機体を90度ロールさせてスティックを引き、A/B全開で一瞬のうちに敵の攻撃を回避する……。いちいち後ろを振り返らないで、敵の動きを読んで飛ぶ。
そういう刹那の戦いをしていると、かつて「自分のものにはなり得ない」と思った高速戦闘の世界に、実際に自分が浸っているのだ……と思えることに最近気付いたわけです。
無数のミサイルは要らないのか? §
一気に大量の敵を仕留める……というのは、FAEBやACE COMBAT ZEROのMPBMによって実質的に実現されています。
しかし、それが面白いわけではありません。
やはり、ギリギリの刹那の戦いを繰り広げ、通常ミサイルで敵を仕留めてこその高速戦闘でしょう。
ちなみに、撃っても撃っても無くならないスーパー バルキリーのマイクロミサイル……という感覚は、非現実的に多くの通常ミサイルを搭載できるという点で、再現されていると言えます。
ガウォーク、ロボットに変形できなくて良いのか? §
はっきり言って変形できなくて良いです。
別にガウォークに変形しなくても超低空高速飛行はできるし、ロボットに変形したらスピード感が消えてつまらないだけです。
そもそも、自機が見えないHUD視点で飛んでいる限り、自機の形が変わろうと変わるまいと、ほとんど意味はありません。(実際、FALKENがTLS発射体勢に変形しても、飛んでいる途中に意識することはまず無い)
変形とは、外から見ている者にとって意味があるものであって、飛ばす当事者にはあまり意味がないのだと思います。
まとめ §
ACE COMBATシリーズが好き……という理由と、ACE COMBAT 5が好きである理由は必ずしもイコールではありません。やはり、5は突出して「好き」なのです。マクロスのトラウマというのは、好きな理由の一部でしか無く、しかも最近やっと気付いた比較的新しいものに過ぎません。
一方で、ACE COMBATシリーズが好きだというのも事実で、やはりこのシリーズはまだ飛びたいと思います。
まあ、そういうわけで、トラウマうんぬんという話は別として、まだまだACE COMBATの空を飛び続けますよ。なにせ、飛ぶことそのものの快感は尽きませんから。