ふう。
やっと念願の真・女立喰師列伝を見てきました。
レイトショーしかないので、仕事が終わってから見に行くしかありません。終わって帰ったら、日付が変わっていました。比較的渋谷に近いうちですらこうなので、たいていの人は終電ギリギリか、終電に間に合わないかも。
金魚姫 鼈甲飴の有理 §
いきなり見たことのある建物が。現物を見たことはありませんが、映像の中で何回も見たスタジオ・ジブリが (笑。
そして、延々と繰り返される縁日の屋台の描写。基本は現実であり、その現実の中に割り込んでくる些細な「異質」の物語と言えます。
ネタバレになるので書きませんが、アッという結末が付いてそのまま終わってしまいます。
一応結末は付いていますが、映画としては終わっていないような気もします。しかし、綺麗な結末が付いたので、これはこれでありかな……と思って見続けました。
荒野の弐挺拳銃 バーボンのミキ §
自動拳銃禁止、リボルバーのみを強要する悪の保安官との爽快銃撃戦。
明らかにあり得ない空想上のファンタジー世界です。
最終的にミキは、手に入れたバーボンの味が分からないといい、いつか分かるようになったらまた来ると言い残して去ります。しかし、単に酒場から出て去っただけです。ある意味で、映画として終わっていません。
Dandelion 学食のマブ §
ファミレスで起こったすれ違いによる悲劇。
ネタバレになるので詳細は書きません。
しかし、この話は全く終わっていません。人が死に、主人公は刑務所から出てきますが、その状況がどこにも落ちていません。
ネタバレになるので書きませんが、これは笑いました。
草間のささやき 氷苺の玖実 §
実はかなり苦痛でした。
単調に続く映像美の世界という感じでしょうか。
これは、後からDVDで見返すときは飛ばすかな……と思いました。
他の作品と比較して、明らかに劣るなと思ってしまいました。
しかし、それは間違いでした。次の作品でそれに気付きます。
歌謡の天使 クレープのマミ §
1980年代の原宿、クレープ屋です。
タイトルは某魔法少女アニメっぽくて笑えます。
更に、マミにより語られる戦後日本の陰謀の壮大な全貌。
これを見ながら、「草間のささやき 氷苺の玖実」という作品の後だからこそ、この作品が引き立つということに気付きました。
そして、その瞬間に自分の誤りに気付きました。
この映画は、6本の短編映画なのではなく、全体で1本の映画なのだと。
つまり、全体で1つの作品の流れを作り上げているのです。だから、個々の作品に与えられたポジションに応じた内容を持っていて、それゆえに最終作品以外は「終わっていない」のです。ストーリーは連続していませんが、作品の流れは連続しているのです。個々の作品に「終わっていない」感は全体の中で果たすべき役割を果たしたことの証明に他なりません。
ASSAULT GIRL ケンタッキーの日菜子 §
そして、ついに1本の映画に決着が付きます。
圧倒的なCGと特撮映像と壮大な音楽によって描かれた壮絶な戦闘と荒野。
最後に到達した主人公が目にしたもの。そして、彼女がつぶやいた一言。
ネタバレになるのでそれが何かは書きません。しかし、徹底的に感動的に盛り上がった演出の中で、この大爆笑ものの結末は最高ですね。
全体の流れ §
「金魚姫 鼈甲飴の有理」の役割は観客を映画の世界に連れて行くことです。そして、観客が納得しそうになった瞬間、金魚が泳ぎ去って観客は納得を失います。観客は納得するために画面に注意を向けざるを得なくなります。
「荒野の弐挺拳銃 バーボンのミキ」の役割は立喰師という存在を観客に分からせると同時に、ノリの良い映像で二度と引き返せない作品世界の深みに観客を連れて行きます。次の2本が重い内容なので、まずここで観客を巻き込まねばならないのです。
「Dandelion 学食のマブ」の役割は虚構がほどんと含まれない世界を提示し、同時にそれがほとんどあり得ない異常事態であることも示します。ここで観客は、心に深い傷を刻み込まれると同時に、理解不能の謎という宿題も与えられます。
「?」の役割は、この作品がバラバラの短編映画の集合体ではなく、一貫して見られることを意識した存在だというヒントを提示することにあります。
「草間のささやき 氷苺の玖実」は、虚構と現実の区別がほとんど意味を持たない世界を描きます。ここで、観客の感性は一時的に麻痺させられます。単調な映像がもたらす麻薬的な効果によって、観客の心の傷は、傷でありながら快感を伴うものに変質させられます。
「歌謡の天使 クレープのマミ」は、作品世界がリアルな現実に戻ってきたにも関わらず、そこに大きな虚構としての陰謀史を描くことにより、観客の心に溜まったストレス感をダークに吹き飛ばしていきます。しかし、その陰謀史が事実であるかどうかも定かではなく、ストーリーは終わりません。
「ASSAULT GIRL ケンタッキーの日菜子」は最終的に全てを終わらせます。全ての屈折、心の傷、わだかまりは、このラストにおいて全て解消されます。
全般的な感想 §
つまり、この映画は5人の監督が競い合ったのではなく、共同作業によって1本の映画を撮ったのだ……と思います。とすれば、全体をまとめ上げた押井守という才能は、見事という他ありません。
まったくつながっていない6本のストーリーによって、1本の映画をまとめあげでしまったわけですから。
これはたまげた!
ごく普通の短編実写映画などではないですよ、これは!