2008年03月28日
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実写TVドラマ版ネギま! 惜しいところまで行ったのに最後に足を踏み外したか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 コミックの話題ではありません。

 少しだけ実写TVドラマ版ネギま!の最終回を見た感想を書いておきます。

  • 最後に、ネギが助けられるお姫様の立場になってしまったのは残念。とはいえ、主役がネギである事実が忘れられ、女の子集団に目が行ってしまうのは良くある現象かも
  • とはいえ、ガラスの階段の描写や、明日菜と超の頬の叩き合いは心理ドラマとしても見応えがあったから、まあネギがお姫様でも許そう
  • しかし、最後に全員で歌って踊ったのはせっかくの良かった印象を台無し

 最後の項目だけ説明します。

 ネギま!(もちろんコミック版のこと)という作品の決定的な秀逸な点は、登場人物達が全員自分の人生を生き続けていて、その一断面が作品に表出しているという構造にあります。

 だから、特定のキャラの出番が無くても、そのキャラが見えないところで何かをしていることが容易に実感できます。

 その結果として、ネギま!という作品には「全員集合」「全員で1つのことをする」という描写がほとんどありません。それこそ、修学旅行の集合写真のような強制力のあるイベントでもない限り、全員揃って同じ方向を見ることもありません。

 しかもこの集合写真も、個々のキャラクターの心が1つになってはおらず、違うものを見て、違う態度を取っていることがきっちり描き込まれています。

 だからこそ、この作品はクラスメートの全員を1人1人別の人格として愛せるわけです。

 さて、このような「作品愛」「キャラ愛」から見た場合、絶対にやってはいけないことが1つあると思います。それは「全員を一体のものとして描く」という描き方です。違うから愛しているのに、同じにしたら愛する根拠が消えてしまいます。

 それをやってしまったわけですね。

 ここまで、よく「全員を一体のものとして描く」という誘惑にあらがって、1人1人を別の人格として描いてきた実写TVドラマ版であるのに、残念。

余談 §

 同時期、夕方のテレ東で放送されていた30分の実写TVドラマ、「正しい王子のつくり方」や「チョコミミ」の安定した出来の良さと比較すると、深夜帯の30分実写TVドラマ「ネギま!」や「キューティーハニー THE LIVE」の不安定感は引っかかるものを感じます。

 ちなみに、「正しい王子のつくり方」はテーマ的に実写TVドラマ版ネギま!とかぶっている側面があると思います。つまり、孤独な者の心理的バリアを突き破って救う、といった話ですね。しかし、「正しい王子のつくり方」の方が上手く描いていると思います。救いに行った側も無傷ではいられず、変化を迫られるという点も含めて。

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