2008年06月17日
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奇跡のように素晴らしい! 心の葛藤を描いた「BLUE DRAGON 天界の七竜」第8話「彼女の選択」!!

Written By: トーノZERO連絡先

 本当に素晴らしい愛すべきアニメにあったの出会ったので、軽くそのことを書いておきます。

 最初に本題とは関係ない前置きが長々と続きますが、まあそれは「うわごと」のようなものなので、真面目に読まずに適当に流してください。

本題とは関係ない §

 最近、平均的な意味でのアニメの質は落ちていると思います。

 その理由は、ファンの質の低さにあると個人的には考えています。質の低いファンが、スクール商法によって大量にプロとして養成され、彼らがアニメを製作する多数派の中核に立つとなれば、質の低下は必然です。

 では具体的に「質が低い」とは何を意味するのでしょうか?

 それは、心の問題を適切に把握できていないことを意味します。どれほど知識を増やしたところで、複雑怪奇で矛盾した「心」が分からねば、本当に良いアニメは作れません。

 なぜそれほど「心」が重要なのでしょうか?

 アニメはたかがデフォルメされた絵でしかありません。それを、生々しい現実であるかのように実感できるのは、作品に感情移入できるからです。ということは、アニメ作品は「感情移入可能な心」を描かねばならないのです。どれほど綺麗な絵を描いたところで、「感情移入可能な心」が無ければ、それはアニメではなく絵として消費されるに過ぎません。

 では、「心」さえ描けば良いのでしょうか?

 それも違います。

 たとえば、単に「幸せ」な心を描いても、それは魅力を持ちません。幸せな他人を最後まで見届けたいという欲求を、普通の人は持ちません。

 見る人の心を引きつけるには、どうしても「思い通りにならない現実と葛藤する登場人物」が必要とされます。このような登場人物がいかにして現実を乗り越えるのか、あるいは乗り越えられないのかは、最後まで見る者を引きつける牽引力となります。

 では、「思い通りにならない現実と葛藤する登場人物」を描くには何が必要とされるのでしょう?

 思い通りにならない現実とは、通常は社会や他人の形を取ります。ここで、勧善懲悪における「悪」は「思い通りにならない現実」に当てはまらないことに注意が必要です。この「悪」とは、あるべき予定調和として必要とされる必須の要素であり、「思い通りに予定調和を達成する」ためにこそ必要とされるものです。それゆえに、良くできた作品における「思い通りにならない現実」は、主人公側のみならず、対立する敵側にも訪れます。

 ということは、単純に善とも悪とも割り切れず、思い通りにならない社会や他人をアニメは描かねばなりません。

 それは本来なら難しいことではありません。なぜなら、この世界にはまさにその条件を満たす社会や他人に満ちあふれているからです。そのようなものを描くことは、まさにそのようなものに囲まれて生きている「見る者達」の共感を得る最良の手段となります。

 しかし、学校から専門学校を経てそのままアニメ業界に就職してしまったような者達は、そのような体験を得るはずの社会経験が乏いままに作品作りを行わざるを得ません。業界の規模がそれほど大きくないうちは、それなりの人生の苦悩を経験した者達が中核を担うことで、社会経験が乏しい者達もスタッフの一員として良い作品作りに参加できる余地があります。しかし、爆発的なアニメ製作本数の増加は、社会経験が乏しい者達だけで作品作りを行う機会を増やしてしまった可能性があります。そして、彼らは同様に「社会経験の乏しい者達」に支持されることで、一人前のプロになったと錯覚することもあるでしょう。ここに必然的なアニメの凋落が起こります。

 現時点で日本のアニメが持つ状況とは、過去に蓄積された実績と信頼というメッキがはげ落ちて、凋落が進行中の状況だろうと思います。

 ちなみに、それにも関わらず今でも面白いアニメは多くあると思いますが、その大多数は原作付きです。(BLUE DRAGONシリーズは原作ゲームが存在するものの、実質的にアニメオリジナルと見て良いのではないかと思っています)

 ……以上が長い前置きです。

BLUE DRAGON 天界の七竜 §

 BLUE DRAGONの最初のシリーズは第1話しか見ていません。

 第2位シリーズであるBLUE DRAGON 天界の七竜の第1話を見て、なかなか素晴らしい人物描写に感銘を受けてそれからゆるゆると見始めました。

 しかし、作品の出来に波があるものの、平均的にはとても素晴らしい作品であり、解くに良い時は並外れて良いと思います。何より、一歩深く入り込んだ深い心理描写は見事です。大きな力や豊富な経験を持ちながら何をすれば良いのか迷って苦悩するシュウや、子供としての心と大きな役目を背負った運命の人としての心の双方を上手く折り合わせることができないノイの心理描写は秀逸です。

 特に、第8話「彼女の選択」(2008年5月24日放送)は数年に1度の大傑作と評しても良いのではないかと思いました。

彼女は選択しない「彼女の選択」 §

 このエピソードは、まさに「思い通りにならない現実と葛藤する登場人物」を描くものです。そこでは、思い通りにならない社会と他人が強い存在感を持って出てきます。

 まず、シュウはクルックを仲間に迎えたいと思いますが、かつてブーケの存在によってクルックを仲間にできなかった可能性があるため、1人で迎えに行かざるを得ません。しかし、それによってシュウは仲間を騙すような形になってしまいます。ここに強い葛藤が生じます。

 それを見送るマルマロは、シュウの行動の危うさが分かっています。それにも関わらず、マルマロは目の前を通る水着の女性を追いかけることを止められません。

 ノイは、クルックと会って話をします。ノイはおそらくクルックの影を復活させ、シュウの仲間に加えたいと思っていたのでしょう。しかし、子供達の面倒を見るクルックによって、自分もまた面倒を見られることに心地よさも感じてしまっています。

 そのクルックも、笑顔で子供達の相手をすることが自分で選択した結果だと告げますが、シュウの誘いに応じて戦いに参加しなかったことに後ろめたさもあるのでしょう。ノイから「別の選択肢が生じたら」という話を聞くと、平静ではいられません。

 アンドロポフは、シュウから「クルックを縛り付けている」と言われると必死に抗議しますが、本心ではそのような可能性を否定できずに苦しんでいます。

 更に、もちろんブーケは自分を騙してクルックのところにシュウが行ってしまったことに複雑な心情を持たざるを得ません。

選択したシュウ、選択したノイ §

 このように、このエピソードにおいて主要な登場人物全員が、強い葛藤を抱え込んでいます。問題は、彼らがこれらの葛藤に対して、いかに決着を付けるかです。

 まずシュウは、クルックを説得するという最初の意図を放棄して帰ってしまいます。クルックに会いすらしません。それが、アンドロポフに対する一種の気遣いであることは間違いないでしょう。あるいは、アンドロポフとクルックの絆の強さを直感して、自分が出て行っても負ける可能性を感じて、その可能性から逃亡したのかもしれません。

 これによって、アンドロポフは葛藤に決着を付ける必要性を先延ばしされます。しかし、彼はそのことを考え続けねばならない宿命を背負ったとも言えます。

 ノイは、クルックの影を復活させますが、そのことを一切クルックに告げません。自分の本来の意図も告げないし、シュウのことも言いません。ただ、通りすがりに出会っただけの子供として、クルックの前から立ち去ります。ノイはクルックを直接的に巻き込まないことを選択した上で、それに加えて有事にはクルックが自分や子供の身を守れるように、影を復活させるという保険まで掛けたわけです。

 しかし、ノイはいきなり木の上にジャンプすることによって、自分がただの子供ではないことをクルックに対して暴露してしまいます。それにより、クルックは「自分に期待された社会的役割」を果たし得なかったのではないか、という疑念を持たざるを得ません。それはけして大きな疑念ではないでしょうが、クルックの心に突き刺さったトゲとなるかもしれません。

 最終的に、シュウもノイも、クルックとアンドロポフを現状のままで生活させるという選択を行います。このエピソードで「選択」を行ったのは、実際にはこの2名です。

泣き出す子供 §

 ノイは、途中までは「新しい選択肢」の話をして、本来の意図をクルックに勧めようとする意志を示します。しかし、子供が泣き出したことで、その意志を放棄したように見えます。

 この泣き出すシーンは極めて秀逸です。

 おそらく、子供達はノイとクルックの会話に混ざった不穏な「ムード」を鋭敏にかぎ取り、泣き出してしまったのでしょう。

 子供とは、究極的に思い通りにならない他人の一種です。それゆえに、子供と向かい合っていかに対処するかは、思い通りにならない現実の典型例です。

 このとき、クルックは即座に「子供達の面倒を見る自分」に戻ります。

 そしてノイは、子供達からクルックを引き離すことができなくなります。

不本意な選択を行うシュウとノイ §

 結果的にこのエピソードでシュウとノイは、不本意な選択を行ったことになります。しかし、それは一種の優しさを示す行為であり、同時に「思い通りにならない現実を受け入れる強い精神力」の存在も意味します。

 あるいは、これらは心の弱さ故の選択と解釈することもでききます。2人は、自分の意図を貫徹するために、アンドロポフや子供を踏みにじれなかったのです。

 ここに単純に割り切れない複雑な心のドラマが幕を下ろします。

 誰もハッピーエンドにならず、優しさと弱さを露呈した心のドラマが終わるのです。

 単純に勝ち負けを問題にするドラマであれば、あり得ない結末でしょう。

 しかし、この作品はそれを描いたわけです。

 そして、そのような結末こそが、いつまでも心に残る物語として見る者に受け止められる可能性があるのです。

感想 §

 いやー、本当にいい作品ですね。

 特に、子供達がお昼寝している時のノイとクルックの会話から、立ち去ったノイが木の上からクルックを見下ろすシーンまでは何回も見てもいい。

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