2008年09月04日
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京王関連戦前情報の憂鬱と帝都線建設前の明大前駅の構造

Written By: 川俣 晶連絡先

 光栄にも桜上水Confidentialさんより名指しされてしまったので、答えないわけにはいかないでしょう。

なぜ井の頭線は明大前を通ったのか を考えるより

下高井戸周辺史雑記の川俣晶さんが、京王帝都電鉄三十年史と京王電鉄五十年史をお持ちのご様子。

そちらのほうに、そのあたりの記載は、おありになるでしょうか?

三十年史は、世田谷区役所の読書室にあったと記憶するが、そういう目では読まなかったからなぁ。

あ、それから川俣さん。

仙川ー調布間で、京王線がどこを走っていたか、なんですけど、

仙川付近と

調布自動車学校西南部分に痕跡があります

地図でも、現地に行っても分かりにくいのだが、航空写真だと一発です。

仙川は、キューピーの工場の方向が、旧線路のむきを示しています。

ご参考まで

 後半に関しては情報感謝です。機会があれば再度追求してみます。

 さて問題は前半です。

京王電鉄五十年史 §

 戦前の記述は、非常に大ざっぱな概要しかありません。戦前の情報を得るためには、ほとんど役に立ちません。なので、当然ご希望の情報もありません。

京王帝都電鉄三十年史 §

 京王電鉄五十年史に比べればかなり内容はありますが、それでも質量共に十分とは言えません。たとえば、京王線建設当時の状況は徳富蘆花「みみずのたはこと」(なんと話題になったばかりだ)の引用で記述しているし、仙川調布間の新路線の建設については、かなり解釈に苦しむ記述が見られます。また、ご希望の情報もありません。

だからもっと古い史料が必要 §

 というわけで、上の2冊が役立つのは主に戦後の話です。戦前の京王線、帝都線に関する情報を得るには、別の史料を必要とします。そのようなわけで、「京王電気軌道関連の戦前の基礎史料(おおざっぱな)まとめ」を書いたわけです。

その他の情報 §

 手元にある本で、それに近い話を書いている本を物色してみました。

鉄道未成線を歩く 私鉄編 森口 誠之 (著) §

 p63に「松沢停車場(現・明大前駅)設計平面図」「松沢停車場の京王線高架下縦断面図」という図面が掲載されていますが、あくまで帝都線の史料であって、京王線の線路の下がどうなっていたかは明確ではありません。

鉄道ピクトリアル 93年7月増刊 特集京王帝都電鉄 §

 「井の頭線の昔(帝都電鉄の謎と思い出)」(生方良雄著)という記事中に参考になる記述が見られます。

 p196に、「帝都電鉄明大前駅概念図」という図面が掲載されていますが、これはあまり役立ちません。しかし本文に以下のような記述が見られます。

昭和8(1933)年帝都線建設にあたり、京王との協議が難航し、やっと京王線の築堤の下をコンクリート構造物を作りアンダーパスすることで合意したが、京王は連絡駅を設けることはしなかった。

 この記述を信用すれば、京王線の線路は築堤上にあったことになります。しかし、この記事には参考文献の記載が無く、典拠は定かではありません。

余談 §

 ネットの時代が到来して革新されたのは図書館だと思います。実は、「昭和30年代懐かしの東京」という本に新宿西口にあった東京生命球場が掲載されているという情報を頂きましたが、図書館の蔵書検索で杉並区なら高井戸や方南町の図書館に所蔵していることが分かりました。ついでに最も近い永福図書館にはないことも判明。世田谷区では上北沢の図書館には無いが、経堂の図書館にはあることが判明。

 ちなみに「京王電鉄五十年史」なら上北沢図書館にもありますね。見てもあまり役立ちませんが (汗。

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