こち亀161巻「ピアノレストアの巻」は面白いですね。
73ページ右下のコマでは麗子のスカートの中が見えます。下着もはっきり見えています。ロングスカートなのにめくれ上がっていますが直そうともしません。しかも、手を伸ばせば触れるほど近くに両津の手があります。
このコマは、ピアノのフレームを移動させた直後、疲れ果てた麗子が座り込み、両津も両手を着いているシーンです。
そういう意味で、疲れているから麗子の警戒心が緩んだであるとか、両津が気付いていないから平気なのだ、といった解釈もあり得ます。
しかし、麗子にしてはあまりにも無警戒でありすぎます。
なぜでしょう?
身体接触を拒否しない麗子 §
実は、麗子は両津から身体を触れられることに対して、しばしば「拒否しない」という態度を示します。たとえば、ゲーム類で明らかに両津に不利なルールを課したとき、抗議する両津が麗子の首に腕を回したりしても、性的な意味で麗子が抗議することはまずありません。
今回も、途中で帰ろうとする麗子を両津は引き戻します。かなりの身体接触度ですが、麗子は身体が接触したことには抗議しません。それどころか、両津の要求に従って、最後までレストアに付き合ってしまいます。
ここが麗子と両津の関係の面白いところです。
2人が一般的な意味で恋愛関係に無いことは間違いないでしょう。
それにも関わらず、2人は他人が立ち入れない特別な関係が成立しているように見受けられます。
分裂する麗子 §
ピアノのレストアでは、麗子は両津に強制的に巻き込まれた側でしかないはずです。しかし、実際の作業では常に両津を積極的にリードする立場に立ちます。
しかも実に楽しげに両津の全力を引き出し、自分の全力も発揮させます。
実は、このエピソードの麗子は分裂しています。相反する2つの心理が描かれています。
- 作業からの逃亡を意図する麗子 (2回逃亡しようとした)
- 両津をリードして作業を進める麗子
なぜ分裂しているのでしょうか?
そのヒントは次の「檸檬と部長の巻」で見つけました。
上流階級下層の麗子 §
通常、派出所内は貧乏人の両津+本田と、金持ちの中川+麗子というグループに分かれます。そして、麗子は中川と完全に話が噛み合います。そのことから、麗子は金持ちの上流階級と受け止めてしまいがちです。
しかし、実際には上がいます。それが示されたのは、「檸檬と部長の巻」です。ここでは、中川や麗子ですら入れないことがある超高級料亭の存在が示されます。しかし、檸檬はそこで極めて重要な人物であることが示されます。檸檬の紹介状があれば、首相を追い出して最上の部屋に入れるほどです。それほど檸檬の立場は高いのです。
それと比較すれば、麗子の立場など吹けば飛ぶようなものでしかありません。
それゆえに、麗子や彼女の一族は、自らの立場を「上流階級」に位置づけ続けるための努力が必要とされる可能性があります。より麗子に即して言うなら、より高いレベルの者達から振り落とされ、取り残されないための努力だと言えます。
もちろん、檸檬や中川が努力していないという意味ではありません。彼らもやはり努力しているのですが、その目的は「自分達の立場を守る」ことにはありません。
このように考えると、麗子の分裂の理由が何となく見えてきます。
麗子は、ピアノをレストアする行為に興味があったのでしょう。ピアノのメカニズムに対する興味や、自分で扱うことへの期待感などもあったのでしょう。
しかし、麗子の立場は、何日も家に帰らず汚れた身体と服で作業を続けるような道楽を許さないはずです。従って、ここで麗子の心情は分裂せざるを得ません。
レストアしたいのに、してはならないのです。
最強無敵のキーワード「両津」 §
この分裂は、両津の存在によって強制的に解除されます。
両津は麗子を帰さず、強制的に連れ込みます。
ここで、「両津が力ずくで帰してくれないので、ピアノをレストアするしかない」という建前が成立し、麗子は一時的に「立場」への忠誠を免除されます。
その瞬間、麗子は熱心かつ楽しげにレストアに取り組みます。直前まで逃げようとしていたレストアに、即座に嬉々として取り組むわけです。
特別な関係 §
ここで重要なことは、本来麗子にとって「みっともない自分を他人に晒す」ことは苦痛だった筈であることです。それにも関わらず、このエピソードにおいて、ずっと風呂にも入らず、汚れた服のまま新聞紙でガレージに寝るような行動を取ります。
これは、普通ならあり得ないことだと言えます。
それにも関わらずそれが可能となるのは、両津と麗子の間にのみ存在する「他人が立ち入れない特別な関係」があればこそでしょう。それは恋愛ではありません。恋愛なら、「みっともない自分」を相手には晒したくないでしょう。この関係は、それとは少し違うのです。
まとめ・両津の前で完全解放される麗子 §
麗子は自分が持つ能力や勢いを、常に完全解放できません。これが、しばしば解放して暴走する両津との違いです。常に麗子は「婦警の一員」「令嬢」といった「立場」に拘束された存在だからです。
逆に言えば、麗子が能力を解放すると、相手は誰も耐えられません。
そして、おそらく両津とは麗子の完全解放に耐えられる唯一の人物だろうと思います。
それは、両津は麗子の苦悩を受け止められる唯一の人物であることも示します。
両津が意図したかどうかは分かりませんが、「ピアノレストアの巻」において、紛れもなく両津は麗子を苦悩から解放する解放者となっています。何しろ、麗子が望んだピアノのレストアという無謀な行為を、両津は潰れずに引き受けられたのです。(もっとも、最後の方は助っ人を多数集めたようですが)
このような出来事があり得るから、麗子にとって両津は特別な存在であり、両津自身も麗子を特別に扱わねばならない相手と感じているのかもしれません。
オマケの感想 §
だから、このエピソードにおいて麗子は両津を全面的に男として受け入れているようにも見えます。一切の警戒感を持たず、それこそ求められれば拒まないぐらいの気分だったかもしれません。そのような心情が最初に書いたパンチラに示されている可能性もあります。
それと同時に、両津はたとえそのような心情に気付いても絶対に身体を求めないのも事実です。そして、麗子はそのことを知っています。
だから、まるで誘っているような隙を作りつつ、それに手を出さないという2人だけのゲームが展開されます。
このゲームがもたらす甘美な感覚は、たぶん「深い仲」になってしまうよりも、ずっと価値があるものなのでしょう。
そういう感覚を時々感じられるので、こち亀は好きです。他の作品ではなかなか感じられない淡く深い甘味です。(←実はオマケではなくここが本題だったかもしれない)
ご注意 §
これは私の解釈に過ぎないので、ここで読んだ内容を自慢げに語ったりしないように!
別の人にはきっと別の解釈があります。