一応の区切りなので、イノセン・テイセスのストーリー的な側面についても語っておきましょう。
大人と子供 §
イノセン・テイセスはキルドレの初実戦投入時期の物語です。それは、年を取らないキルドレ達が、見た目と不相応に人生経験を持っている状況ではなく、見た目相応の人生経験しか持っていないことを意味します。
従って、ここで浮上する物語は、大人と子供の間の確執になります。
より正確に言えば、「自分をコントロールできる独立した個人」対「分不相応に能力だけは高いが、自分で自分をコントロールできない個人」の対立です。
そして、大人のパイロット達は戦闘の中で次々とすり潰されていき、最後には主人公しか残りません。一方、キルドレのパイロット達は落とされても同じ人物が補充されてくるので、尽きることがありません。
その結果、途中から主人公はキルドレだけを率いて飛ぶ形になります。
ところがよく検討すれば…… §
ところが、よく検討すると「大人=非キルドレ」「子供=キルドレ」という図式は成立しないのです。
そう。
ここがイノセン・テイセスのストーリー上の面白いところであり、奥深いところです。
つまり、人格的な意味で、キルドレにも大人はいるし、非キルドレにも子供はいるということです。
たとえばカイダは明らかに自分を制御できません。しかし、高い能力は持っています。「分不相応に能力だけは高いが、自分で自分をコントロールできない個人」という条件に当てはまります。
また、モズメもまたこの条件に当てはまります。彼の能力が高いことは疑いようもありません。しかし、しばしば彼は明らかに自分に取って不利な行動を取ります。たとえば、ウルフラム奪取後、裏切りの同志を銃で撃ってまで主砲を撃たせるところなどは、それに当てはまります。
もちろん、カイダやモズメはキルドレではありません。しかし、「大人と子供の確執」という図式の中では「子供」側に属するのです。
一方で、キルドレの一員でありながらヒロトはバランスの取れた成熟した態度を常に見せていて、主人公=チーターの女房役をきっちり務めています。つまり、ヒロトはこの図式の中では「大人」側に属するわけです。
とすれば、単純にキルドレ=子供という図式はあり得ず、そこにあるのは「キルドレであるかに関わらず誰にでも存在しうる人間の愚かさ」でしかありません。たとえば、ウクモリの腹立たしい生意気さは、キルドレだから発生した態度ではないわけです。それは、非キルドレでも語りうるタイプの生意気さでしかありません。
感想 §
これだけがイノセン・テイセスのストーリーというわけではありませんが。
ミッション08 瑠佗海 (ルダカイ)でキルドレと一緒になって撃破数を競ってはしゃいでいるカイダもまた子供であると気づき、ヒロトの落ち着いて安定した態度に気付いたとき、イノセン・テイセスのストーリーは単純に割り切れない面白さがあると気付きました。これはもう、大人が鑑賞するに価する優れた内容ですね。非幼児向けゲームです。