下水道東京100年史を見て印象に残ったのは「36答申」という単語です。これは、昭和36年に出された答申で、具体的に河川と下水の関係と暗渠化の方針を明確に示したものです。
検索してみると問題の当該箇所を掲載しているサイトがあったので、孫引きですが以下に引用します。
呑川の水はどこから?より
35年3月,都は「東京都市計画河川下水道調査特別委員会」 (委員長 元建設省土木研究所所長伊藤剛)を設置し,都内の排水問題についての検討を開始する。同委員会は翌36年10月,河川と下水道のあり方についての基本的方向をまとめ,東知事に報告した。
この報告はその発表年次をとって,俗に「36答申」とよばれている。 答申の内容はおおむね次の4点に要約できる。
(l)呑川,目黒川,桃園川など源頭水源を有しない14河川の一部または全部を暗きょ化し,下水道幹線として利用する。
(2)下水道幹線化する以外の区間についても,舟運上などの理由からとくに必要な部分をのぞき覆蓋化する。
(3)覆蓋化された上部については,できるかぎり公共的な利用を図ることとする。
(4)暗きょ,覆蓋化にあたっては,狩野川台風並みの降雨でも氾らんしない能力を与えることを原則とする。
いっぽう事業は, 36年に答申を先取る形で,桃園川と渋谷川の暗きょ化工事が開始される。以後他の河川についても順次事業がすすめられ,覆蓋上部は遊歩道などとして利用されていった。
ちなみに、源頭水源とは神田川の井の頭公園の池、善福寺川の善福寺公園の池などがあたるようです。
この記述から、以下のような状況の根拠がここにあることが推測されます。
- ある時期まで上水や農業用水の文脈で語られてきた存在が、途中から下水の文脈で語られている→位置づけが曖昧な時期を経て、この答申で明確に下水へ位置づけが変更されている
- 神田川が暗渠化されていない理由→源頭水源を有し、かつ、舟が運用されているため、上記の対象に当てはまらない
- 暗渠の上は道路や公園であることが多い→できるかぎり公共的な利用を図ること、とされているため
- 川の名前を冠した下水道幹線が多い→川の下水道幹線化が明示されている
- 特に下高井戸では一定時期に一律の暗渠化が進行している→36答申に沿った措置が執られたと考えられる
- 玉川上水のような「上水」は依然として隔絶された「上水世界」にあって直接関係していない
すると、いくつかの疑問が残ります。
- 具体的に暗渠化の対象として名指しされた14河川は具体的にどれか
- 世田谷区等に公共的に利用されていない暗渠上部がしばしば見られる理由
- 世田谷区等に特に暗渠化を免れる理由がないのに暗渠化されずに残った水路がある理由
- 玉川上水下高井戸分水はこの答申の中でどう位置づけられるのか
- 神田川の支流(一時的に本流から離れてまた合流する。下水道幹線になっているケースがある)はこの答申の中でどう位置づけられるのか
これ以上踏み込むには、下水道36答申の本文を見る必要があるようです。
下水道36答申の本文 §
軽く検索したところ以下のことが分かりました。
「環境問題資料集成 第3巻 開発政策と公共事業」という書籍の「第4章 公共事業実施に伴う諸問題」に、「東京都市計画河川下水道調査特別委員会「下水道36答申」(1961)」という資料が収録されているようです。
これは、有栖川宮記念公園にある都立中央図書館が所蔵していることが分かりました。更に中央図書館は工事中でしたが、2009年1月4日にリニューアルオープンしていて、現在は利用可能となっていることも分かりました。
それとは別に、近い場所では世田谷区の中央図書館にも所蔵していることが分かりました。ここは、世田谷線の上町駅から徒歩で気軽に行ける場所なので、これも個人的には読みに行く候補になります。
(2009/01/10追記。都立中央図書館で現物を見てきましたが、実際には掲載されていませんでした。)
感想 §
関係ない場所をうろうろと試行錯誤していた「下高井戸の暗渠」問題に踏み込む、決定的な資料であってくれるといいなぁ。