下高井戸の吉田園について、さっそく、きむらたかし@三田用水さんよりご教示いただきました。ありがとうございます。
大正8年の25000分の1「東京南西部」
にぎりぎり載っている部分ですが、
下高井戸駅から北に向かい、
甲州街道と上水を越したところの寺の北
の崖線のところに、幾つか建物の符号と
池らしい輪郭線が見えます。
どうやら、神田川の谷を見晴らす、池などを
しつらえた庭園を中心とする行楽地みたい
で、幡ヶ谷の南の大山園などと同じような
趣向の施設と想像されます。
説明の便宜上、問題の地図の当該箇所だけ切り出して引用させていただきます。
一応、私なりに解釈した結果を着色しています。(∩記号は崖の表現だろうか?)
(青=池? 赤=建物? 緑=竜泉寺 黄色=下高井戸駅)
ちなみに、永福通りは改修前なので、下高井戸橋は存在しません。
確かに、竜泉寺と崖の間にはかなりの空間的なゆとりがあり、ここに何らかの施設があったという推定は十分に可能だと思います。
(このあたりには「永泉寺の名を冠した別の公園『永泉寺坂児童遊園』は不思議な構造の興味深い公園!?」で書いた永泉寺坂児童遊園もあり、可能性の候補として頭の中ではカウントしていた場所です)
Yahooの昭和30年代地図に描かれた池 §
いくつか確認中に、別のヒントかもしれない情報に気付きました。
以下はYahooの昭和30年代地図からの引用です。この近くに、2つの池が明確に描かれています。
この部分は違和感があるので、以前から引っかかっていました。
何か関係があるのかもしれません。