吉田園についてはおおむね終わったと思っていました。しかしそれは間違いでした。吉田園の調査で「杉並の地図をよむ 図録」を再度見ていると気になることが出てきたので、もうちょっと見ていると思わぬところで発見が。
実は、吉田園の範囲を確定的に示した地図があったのでした。
最新杉並区明細地図 昭和11年 1/14000 東京日日新聞 §
中央のグレーの範囲が吉田園です。文字が潰れて見えませんが、原寸の大きな地図が杉並郷土博物館の図書コーナーにあるので、わざわざ行って確認してきました。間違いなく吉田園と書かれています。
極めて大ざっぱな現在地図での位置 §
地図も訂正しました。
青が上記プールっぽい場所に対応。緑が吉田園として示されたあたりの位置です。赤が後述の小菊橋です。
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分かったことと考察 §
敷地の東半分は現在の大慈会総本部の敷地と完全に重なります。ここは谷が入り込んだ崖地であり、池が2つあったらしいことが昭和初期の複数の地図から読み取れます。(Yahoo!の昭和30年代地図より引用)
このことから、西半分の建物から東半分の谷地の池を見ながら過ごす施設だった可能性が考えられます。
とすれば、従来想定した下高井戸駅に近い東側に表玄関があるスタイルではなく、南西側に表玄関があった可能性が出てきます。そこから建物に入り、奥まで行くと崖下に池が見える形式です。
そのように考えると、桜上水Confidentialさんが示唆した小菊橋が吉田園へのアクセス用の橋であるという説が急に現実味を帯びてきました。吉田園想定範囲の南西端は小菊橋の位置です。
小菊橋について §
うっかり勘違いしていましたが、小菊橋は比較的新しい橋のようです。明治30年の地図には見えませんが、吉田園が掲載された昭和初期等の地図には姿が見えます。
また、小菊橋はレンガ橋です。何となく観光地、行楽地に似合いそうです。
もう1つ、小菊橋には謎があります。それは、隣の美宿橋と距離が近すぎることです。もうちょっと西にも距離が近い橋がありますが、これは片方が荒玉水道の都合でできた橋だと分かるので理由は明白です。しかし、小菊橋についてはそのような分かりやすい理由がありませんでした。しかし、吉田園のために作られたとすればすっきり解釈できます。
また、一部の路線案内に玉川上水の上を通ってまっすぐ吉田園に入る道が描かれたものがありますが、甲州街道から小菊橋経由で吉田園に入るとすればそのように見えます。
感想 §
参りました。
吉田園から始まって、芋づる式に小菊橋の謎まで手が届いてしまいました。
これはびっくり。
また、一列に並んだ「寺銀座」の並びの末端に吉田園が位置づけられることも、何か意味があるかもしれません。