新宿歴史博物館の写真集『新宿風景―明治・大正・昭和の記憶―』を見ていて、アッと気付いたことがあります。表題の「玉川上水と淀橋浄水場と小西六とエニックスと私」にはそれぞれ関連性があったのです。
順番に説明していきます。
小西六写真工業 §
まず、この写真集の1つの章は「小西六写真工業 新宿ゆかりの写真メーカー」と題して以下のような説明が付けられています。
小西六写真工業(現コニカミノルタホールディングス)は、明治35年(1902)淀橋浄水場西側に工場(六桜社)と研究所を構え、写真感光材料の製造を始めました。戦後は国内シェアの大部分を占める写真用感光材製造会社であり、カメラの製造販売にも力を注いでいました。(中略)。小西六写真工業が淀橋浄水場隣に立地したのは、玉川上水の良質な水が豊富に得られたからだといわれています。(後略)
まず、淀橋浄水場西側ということは、何回も扱っていた東京生命球場と同様です。おそらく、東京生命球場と想定されるグラウンドの北側の敷地がそれなのでしょう。
そして、淀橋浄水場「西側」とは、より具体的には神田上水助水路が水の供給路であったたことが推定されます。
極めて合理的に「ここ」しかありえない立地です。
エニックスと新宿西口 §
知っている人は知っている通り、私は過去(1980年代)にファミコンのドラクエで有名なエニックス(現スクウェア・エニックス)でしばらく仕事(ゲームの移植)をしていました。エニックスと関係を持った時期はかなり早く、エニックスの(たぶん)最初のオフィス(Kビルの2つ前)にも1回行ったことがあるぐらいです。
この最初のオフィスは新宿西口の比較的駅に近い場所にありました。次のオフィスはかなり駅から離れるものの、確か成子坂下か成子天神下交差点あたり。その次が大久保駅と新宿駅の中間あたりの線路脇にあるKビルです。つまり、一貫して新宿西口側にオフィスを構えていました。
そして、エニックスと小西六は資本関係があったとようです。小西六エニックスという関連会社もあり、パソコンソフトの流通などを行っていたようです。小西六エニックスのオフィスはエニックスと同じ場所にあって、かなり密接に繋がっていました。
ということは…… §
ということは以下の仮定が成り立つとすれば……、私が打ち合わせのために通ったエニックスのオフィスの立地は、間接的に玉川上水によって規定されたことになります。
- エニックスのオフィスの立地は小西六との関係で都合の良い場所として西新宿が好んで用いられた
- 小西六の立地は玉川上水の水を使う関係上淀橋浄水場によって規定され、西新宿のこの場所以外にあり得なかった
うーん、まさかの関連性です。
世界は思ったよりも小さな関連性でまわっているのか?
それとも「水」の支配力は絶大なのか?