2009年03月31日
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送電線ライン=本線予定地説・帝都電鉄和泉変電所をキーに、山手急行本線の明大前以北の経路を推理する

Written By: 川俣 晶連絡先

前回までのあらすじ §

 東京山手急行電鉄より

東京山手急行電鉄(とうきょうやまのてきゅうこうでんてつ)は、かつて東京外周に約50kmにわたる環状路線を建設しようとした鉄道事業者。世界恐慌の影響で計画は頓挫した。

後に帝都電鉄と改称して現在の京王井の頭線を建設し、1940年に小田原急行鉄道に合併された。

 山手急行の本線と井の頭線は、明大前駅で合流し、乗換駅になることが予定されていました。そのことは、実際に明大前駅とその周辺に、井の頭線の線路2本+山手急行の線路2本の計4本を通すことを前提とした図面や施設が残っていることから確実です。

 具体的に有名なところでは、明大前駅北方で玉川上水の下をくぐる水道橋の下に、線路4本分の空間が用意されていることがあげられます。

 また、小田急線の梅ヶ丘駅は山手急行との乗換駅として新設されたものであり、ここを経由する予定であったことも、ほぼ確実と考えられます。

 具体的な証拠ではないものの、下北沢駅が乗換駅として施設が貧弱すぎると見られるのは、実は主要な乗換駅として想定されたのは梅ヶ丘の方だったから、という説もあります。また、梅ヶ丘駅北方に存在する「根津山(現羽根木公園)は、山手急行を前提に分譲地として使われることが想定されたという説もあります。

 いずれにせよ、山手急行の存在を踏まえると解釈できることは、この周辺にいろいろあります。

 ところが、それだけ存在感が大きい山手急行であるのに、具体的にどこに線路を敷こうとしていたのかがはっきり分かりません。明大前駅から梅ヶ丘駅までの間は、土地の取得は完了していたと言われるものの、どこの土地がそれにあたるのか良く分かりません。また、北の方も、玉川上水をくぐる水道橋までは井の頭線と平行して敷設する予定だったと分かるだけで、その先どのような経路で線路を延ばしていく予定であったか、全く分かりません。少なくとも、井の頭線が神田川を渡る橋梁に、4線分の備えが全くないことから、それよりも手前で分かれたのだろう……ということしか分かりません。

 つまり、明確な物証がありながら具体的な姿が見えてこないのが山手急行です。南は梅ヶ丘から北は神田川近辺まで、かなり長い範囲ではありますが、様々な謎が散りばめられています。これらの謎の数々をつなぎ合わせねば山手急行の姿が見えてきません。まさに、ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)です。

 これが前回までのあらすじです。

和泉変電所 §

 送電線網は2万5千分の1地形図にも記載され、1万分の1地形図には鉄塔の位置も記載されています。間違いも多く、他の記述とかち合うと省略されるという問題もあるようですが、それでも貴重な情報です。そのようなわけで、下高井戸近辺の送電線網の変遷を見るために古地図を見ていてはたと気づきました。(世田谷古地図 昭和14年(1939年)当時)

 駒沢線のラインから分岐して、神田川に沿って南下する送電線があります。しかし、これは現在の北堀線とは位置が食い違います。しかも、末端部分には「発電所等」の記号まで書き込まれ、そこで線は終わっています。

変電所と送電線発見

 この施設の正体はすぐに確認できました。

鉄道ピクトリアル 2003・7月臨時増刊号 特集京王電鉄 136pより

5. 変電所

帝都電鉄開業にあたり新設された和泉変電所建物は

明大前永福町間の切り通しを抜けた右側にあり,グ

ループ企業の京王サービス(1993年4 月京王設備サー

ビスと改称)の本社として使われていた. 1996 (平成

8 )年12月この本社が渋谷区神泉町に移転したため,

現在は同社機動担当チームの事業所に転用されてい

る.この建物正面右側には鉄扉が,その真上には電力

線取入用穴を塞いだ跡が残っており,道路を隔てた旧

予備変電室建物も現存し車窓からもよく見える.

 鉄道ピクトリアル '93・7月増刊号 特集京王帝都電鉄 133pより

井の頭線の変電所は戦前は明大前の1 カ所だったが,

現在は明大前にあった和泉変電所は廃止され,代田変電

所8,000kW と久我山変電所7,000kW によって列車運転

用電力はまかなわれている.

 つまり、以下のことが分かります。

  • 帝都電鉄開業時に建設された唯一の変電所である
  • 電力は自社で発電しておらず、駒沢線から引いていた
  • 現在は存在していない
  • その後も京王関連会社が使用している土地であり位置の特定は容易である

 ちなみに現地に行ってみましたが、上記の和泉変電所建物、道路を隔てた旧予備変電室建物のいずれも建て替えられて現存していなかったようです。

和泉変電所の必然性 §

 外部の高圧送電線より供給を受けると考えると、実はこの位置は不自然です。というのは、井の頭線は西永福駅付近で和田堀線の下をくぐっていて、このあたりに変電所を作れば長い送電線を引く必要は無いからです。(2009/04/02追記。この解釈は誤りだったようです。サルマルヒデキさんによる説明を本文書の最後に掲載しています)

 とすれば、この位置は井の頭線だけでなく、山手急行本線にも電力を供給することを意図した場所であった、と考えられます。

 さて、そのように考えると、山手急行本線は和泉変電所の至近距離を通らねばなりません。ここで以下のような制約が発生します。

  • 玉川上水の水道橋下の構造から見て、山手急行本線は井の頭線の東側に存在しなければならない
  • 和泉変電所は井の頭線の東側に存在する
  • 山手急行本線は和泉変電所と隣接していなければならない

 これらの制約を満たす位置は1つしかありません。

 つまり、和泉変電所の西側に線路を通す余地がない以上、東側の隣接地を山手急行本線は通らねばならないのです。

 これにより、これまで明確ではなかった山手急行本線の具体的な計画ルートのラインが引けるようになります。

地図にプロット §

 青が和泉変電所と想定される場所。赤が送電線。水色が山手急行本線と想定したラインです。変電所と送電線の接続位置はつながり具合から適当に選択したもので、正しいか否かは分かりません。


大きな地図で見る

送電線は山手急行予定ラインか §

 当初の構想ではここで大団円になる予定でした。

 ところが、実際に線を引いてみると思わぬ伏兵が。

 ラインを自然に引いていくと、どうしても送電線と山手急行本線のラインが重なってしまうのです。

 そこで、送電線趣味に開眼するまでは気づかなかった大きな問題に気づきました。

 そもそも送電線とは送電線を引く空中の使用権などの問題がややこしく、そのために好んで権利関係がシンプルな河川上などに張られる存在です。そして、鉄道路線の上空に送電線を張るケースも珍しくありません。

 しかも、この送電線はおおむね山手急行本線が進むと想定される方向に進んでいます。鉄道ピクトリアル '93・7月増刊号 特集京王帝都電鉄 197pの推定経路を書き込んだ地図でも、送電線のラインとほぼ隣接、並行して山手急行本線のラインが描かれています。

 ならば、以下のように断言できます。

  • 送電線と鉄道の経路を別々の隣接した土地に確保するのは無駄である。同じ土地を使う方が効率が良い

 だとすれば、以下のような推定も可能ではないでしょうか。

  • 駒沢線から和泉変電所までの送電線経路とは、山手急行本線の建設予定ルートそのものである

神田川を効率的に渡る §

 この仮説には、極めて好ましい状況証拠が1つ付きます。

 というのは、このラインがそれだとすると、山手急行本線が効率よく神田川を渡ることができるのです。流路改修前の神田川は(昭和14年時点の地図において)、以下のようにこの部分で向きを変えており、ここを通過すると神田川に対してほぼ直角に線路を渡すことができます。以下の水色のラインが大ざっぱな山手急行本線の想定ラインです。(角度を示す概念の説明なので、送電線のラインとは一致していません)

神田川を渡る

 この先はどのような経路か分かりませんが、中野方面に進むことになります。

これが3次元郷土史だ!! §

 普通の道、水の道(河川水路)、鉄の道(鉄道)、電気の道(送電線)などを全て総合し、地下の暗渠から空中の送電線までを総合的に扱って立体的に分析を行う3次元郷土史の強みが発揮された事例だと思います。あまりにもよく発揮されすぎて私自身もびっくり。

 これはおそらく、純粋な鉄道ファンにはなかなか持てない視点ではないでしょうか。たとえば、以下のような文章を見るとそう思います。

鉄道ピクトリアル '93・7月増刊号 特集京王帝都電鉄 133pより

余談であるが,明大前を過ぎて,カープを曲り,永福

町への勾自己を上ろうとするところにあった和泉変電所は

水銀整流器が使用されており,夏の夜など,この紫色の

光りがなんとなく電気の世界の輝きを示しているように

感じたものだった.

 既に引用した文章も含め、これらの文章から読み取れるのは、「車窓から変電所が見えた」というところまでしか興味が及んでおらず、変電所から先の送電線がどうなっているのかまでは追求する意志が全く見られないことです。というよりも、そのような追求があり得るという発想もないように思えます。

 とすれば、まだまだ追求して解き明かせることはあるのかもしれません。

鉄道ピクトリアルの編集者の方へ §

 もし、再度京王特集号を発行することがあり、このような話題に価値があるようであれば、喜んで書きます。これでも一応、ライター業をやっていますので。

 ……と一応は営業活動をしておこう。言うだけならタダだしね (汗。

2009/04/02追記・西永福より給電を受けることは自然ではない理由 §

 本文中に記した「井の頭線は西永福駅付近で和田堀線の下をくぐっていて、このあたりに変電所を作れば長い送電線を引く必要は無いからです」という解釈が正しくない理由について、サルマルヒデキさんより説明を頂きました。以下に内容を転載します。

 少し解釈が違うかなと思います。昭和初年の時点で考えますと以下になります。

 西永福で交差する和田堀線はもともとは八ツ沢線という幹線で八ッ沢水力発電所から淀橋変電所までを結んでいたものです。

 こういった発電所から送られる電気の幹線(放射線方向)はあまり分岐などを行わなず直接中間変電所まで送るのが普通です。

 対して駒沢線には古くから下段に併架路線があったようなのでその併架路線からの分岐は大いに考えられます。上段は環状線で中間変電所間の連絡路線なのであまり分岐はさせなかったでしょう。(ただしこの辺りの鉄塔は建て替えられたものが多く併架路線があった痕跡はない)

 電気は原則

  発電所――中間変電所――配電変電所――需要家

という順番に送られます。分岐は中間変電所以降です。かつての和田堀線の場合は和田堀変電所以降が対象ですね。

 井の頭線と交差する送電路は現在

  三鷹台で北多摩線

  久我山で高井戸線(京王変電所に給電)

  西永福で和田堀線

  永福町・明大前間で北堀線

  新代田で駒沢線(京王変電所・下段の併架路線から給電)

の4箇所ですが、和田堀線は八ツ沢線、北多摩線は群馬幹線、高井戸線は谷村線という発電所からの幹線で、北堀線は和田堀線の増強用の路線ですから上記の理由であまり分岐は行わないのではと考えられます。

 現在でも北多摩線、和田堀線、北堀線は154KVの幹線です。高井戸線は完全にローカルな路線に役割を変更されています。駒沢線もローカル路線扱いでしょうけど、もっぱら下段に併架した22KV路線がいろいろな需要家向けに活躍しているようですね。

 サルマルさん、長い説明文をありがとうございます。