U氏は恨み深い性格だった。
たとえば、U氏自慢の自転車に激突して傷を付けた車があった。このとき、U氏は、自転車による1時間に及ぶ追跡行の後、運転手が一生後悔するほどの辛辣な復讐を行った。
U氏が手塩に掛けて育てた芝生を土足で踏みつけた外国人旅行者には、国境を越えた追及の手を伸ばし、最終的に彼を土下座させたのであった。
さて、そのようなU氏であるが、もちろん普段は善良な市民として平穏に暮らしていた。
ある日、U氏はゴミ捨て場で品のある壺を発見し、それを持って帰った。
U氏が汚れを取ろうと壺を拭くと、中から悪魔が出てきた。
「私はゆえあって壺に封じ込められた悪魔です。持ち主の願い事を1つだけ叶えねばなりません。何でも願いを言ってください」
そこでU氏は考えた。
恨みを晴らす行為に、悪魔の力は必要ない。U氏自身の力で遂行できるからだ。
そこで、U氏はそれを悪魔に告げた。
ところが、悪魔は「それは違う」と言ったのだ。
「いいですか。あなたが自分で恨みを晴らせるのは、あなたが生きている場合に限られます」
「なるほど」
「だから、あなたを殺した相手に対する復讐だけは、自分の力ではできないのです」
「もっともだ。では私の願いは、私を殺した相手に毎夜化けて出ることだ。許してくれというまで絶対に許さずに毎晩化けて出る。相手がそう言ったら成仏するとしよう」
「もうちょっと厳密にした方が良いのじゃないでしょうか。たとえば、不良グループに絡まれておもしろ半分に殺されたとしますね。その場合、グループ全員があなたを殺した相手に該当しますか? それとも直接手を下した相手だけですか?」
「なるほど。では、厳密に言い直そう。私を殺した相手とは、私が死に至る直接的な原因を作り出した人間としよう。見ていただけの人間は含まない。実際に原因を作り出すために行動した者だけが対象だ」
「良い判断です。では願いは叶えました」
悪魔はにっこり笑うと姿を消した。
壺もなくなっていた。
U氏は夢でも見たのだと思い、そのことを忘れた。
やがて、U氏は電子装備満載のハイテク自転車を購入した。U氏は分厚いマニュアルを読みながら念入りに整備を行って、さっそくサイクリングに出かけた。
しかし、U氏は電子装備の設定マニュアルにばかり気を取られていて、肝心のボルトを1本締め忘れていることに気づかなかった。U氏の自転車は山道を走行中にバラバラになり、U氏は谷底に転落して即死してしまった。
しかし、U氏は幽霊としてこの世に残った。毎晩、U氏自身の墓の前に出現したのだ。それが悪魔との契約によるものだと気づくまで、かなりの時間を要した。
そこでU氏は考えた。
誰もU氏を殺していないのに、なぜ悪魔との契約が履行されたのだろうか。
そこでU氏は気づいた。悪魔に望んだ条件は『私を殺した相手とは、私が死に至る直接的な原因を作り出した人間』だった。そして、自転車の整備ミスを行ったのは自分自身であり、この条件に該当したのだ。だから、U氏自身の墓の前に幽霊として出現することになったのだ。
それが分かると次にU氏は考えた。どうすれば成仏できるのだろうか。
その答は明瞭だった。
死の原因を作り出した人間に「許してくれ」と言わせれば良いのである。それでU氏は成仏できるのである。
U氏はむなしい幽霊生活を終わらせ、成仏したかった。
だが、その言葉を言うべきU氏自身は既に死んでいた。死んだ人間が「許してくれ」と言うことはあり得なかった。
(遠野秋彦・作 ©2009 TOHNO, Akihiko)
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