2009年06月09日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2619 count

玉川上水のゴールは終盤まで神田上水への補水であって、独立した上水ではないというアイデアのメモ

Written By: 川俣 晶連絡先

 簡単なアイデアのメモのみ。

 「かなしい坂を含む玉川上水初期計画案の合理性を検討する」で提示した仮説の問題点は、玉川上水のゴールが神田上水への補水から完全別系統の水道に変化した理由について、何ら説明できないことです。

 しかし、「初めて開く「上北沢・桜上水 わたしたちの郷土」・玉川上水が北沢地区の技術で開削された説の衝撃!?」で述べた、「北沢地区が玉川上水の開削に協力した」という話を絡めると、それについての解釈が付けられるばかりか、以下の謎についても解釈が付けられることに気づきました。

  • なぜ井の頭の池の間近を通るのか
  • なぜ下高井戸で工事が止まるのか

計画のゴールは違っていた §

 まず、「計画のゴールは終盤まで神田上水への補水であった」と仮定します。そうすると、実は玉川上水が井の頭の池の間近に続いていることは当然の必然と考えられます。井の頭の池に接続することが本来の目的であったと考えられるからです。

 しかし、ここで別の勢力が計画に相乗りしてきます。それが上北沢村です。ここでは、上北沢村は既に井の頭の池の水を引いてたが十分な水量は得られていなかった、と仮定します。

 上北沢村は、玉川上水を井の頭の池に接続するのではなく、そのまま神田川南部の稜線上を上北沢村近くまで流せば、その水を北沢川に流し込み、多くの田畑を潤すことができると主張したかもしれません。それは、関係者から見れば増収への期待であり、経済的なメリットです。

 ここで計画が変更され、玉川上水は上北沢村と下高井戸村に挟まれた稜線上まで延長されることになります。

 この時点での計画では、ここで玉川上水は神田川に合流するはずであったと想定可能です。これ以上先まで伸ばしても、技術協力する上北沢村のメリットは何もないからです。

 このように考えると、下高井戸というロケーションには必然性があることが分かります。工事が止まった場所は、由来から考えて永泉寺付近と考えられますが、このあたりは玉川上水と神田川が最も接近する場所です。合流させることを想定して工事を行ったとすれば、ここで合流するのが最も自然です。

 しかし、ここで更に「待った」の声が掛かった可能性も考えられます。具体的にあり得るアイデアは以下の2つです。

  • 北沢川流域だけ水が増えるのはずるい。北沢川よりも東の地域にも水を流すべき
  • 送水のための水圧を確保するという意味では、できるだけ高い標高を維持して江戸まで続けるべき。ここまでやったのだから、最後までやろうよ

 どちらも、可能な限り稜線上で水路をつなげるべき、という主張であり、神田川への合流はあり得ない選択肢です。

 しかし、これは計画のあり方そのものを揺るがす大問題です。

 即座に方針を確定できないとしても不思議ではないでしょう。

 つまり、下高井戸で工事が一時中断するのは当然と言えます。

 従って、玉川上水は羽村からの取水が確定した後にも、井の頭の池、下高井戸という2箇所での計画変更を経て、当初は何ら想定されていなかった四谷大木戸へのゴールに修正された、というアイデアです。

 まだ何も検証していない、単なるアイデアのメモなので、信じてはいけません。

余談 §

 このアイデアは下高井戸付近で玉川上水が、なぜ稜線上の土地の余裕が少ない甲州街道北側を選んで建設されているのか、という理由も説明できる可能性があります。つまり、ここで神田川に合流させるとしたら、甲州街道南側に流すわけには行かなかったからです。

 更に、下高井戸2丁目あたりの「丘を強引に貫いて開削した」という感じについても説明できる可能性があり得ます。つまり、本来はこの丘を貫くつもりは無かったが、計画変更のために貫いて開削を続けねばならなくなった、という解釈もあり得ます。

感想 §

 かなしい坂の問題を考えていたら、いつの間にか上北沢の問題や下高井戸の問題まで連動してしまいました。遙か遠くの府中付近のことを考えていたはずが、気がつくと上北沢の問題を考えていて、まとめ始めるといつの間にか下高井戸の問題になっていました。まさにホームグラウンドの問題です。

 とはいえ、これらは単なるアイデアのメモであり、あり得る可能性の1つとして想定されたものに過ぎません。可能性のバリエーションの1つの選択肢の(かなり無理のある)候補の1つに過ぎません。ですから、このような説を信じてはいけません。

下高井戸周辺史雑記