高校時代の1年間、都営三田線志村三丁目駅で下車して学校まで歩いていました。改札を出て東に回り込んで線路の下をくぐり、すぐ東側にある短い道路から更にもう1本東側に道に出て、あとは一直線です。
この短い道路は、現在自転車置き場になっています。
場所はここです。
さて、最近用事があって志村三丁目駅で下車しました。目的地に行くために地図を見ていると、どうも妙なことに気付きました。
ここは、前後に続きがあってまるで河川水路跡じゃないか!
後で今昔マップ2を見て確認しました。流路は整理されているようですが、確かにここは河川があったようです。つまり、毎朝それと気付かずに河川跡を歩いて登校していたわけです。
まさか母校絡みとは §
通った期間が1年間だけなのは、母校が移転したからです。移転前は、神田川支流の弦巻川の水源地だったようです。しかし、さすがに移転後は水と縁がないと思っていました。校庭もジメジメしていないし。まさか、通学路の方に縁があったとは。しかも、駅のすぐ背後が河川跡……。けっこうショック。2009/06/14追記。というのはタダの間抜けな物忘れで、移転後は校内に暗渠がある「水との縁が濃すぎる」学校でした。なんてこったい!
ちなみに、通学していた頃はまだ今のような環状八号線は無かったと思います。だから、関連項目 エイトライナー(仮に開業すると、当駅を通る可能性がある)というWikiPediaの記述はかなり意外性を感じます。つまり、もし通学していた時代にエイトライナーが開業していたら、八幡山で京王線からエイトライナーに乗り換えてそのまま学校に通えたわけですね。ちなみに、当時は新宿から山手線で巣鴨に出て三田線か、都営新宿線から神保町で三田線に乗り換えがメイン。埼京線が開業した今なら、埼京線で板橋に出て三田線の新板橋に乗り換え。板橋の乗り換えはかなり距離があって大変ですが、エイトライナーの八幡山の乗り換えも同じようにかなりの距離を歩く可能性があり得ますね。