2009年07月01日
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荒玉水道と玉川上水の交点付近に存在する謎の細長い土地と「いなげや」の不自然な土地区割り

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日、用事で歩いているときに重大な見落としに気付きました。

 「いなげや」の手前の土地はまっすぐではなく、甲州街道近くで斜めにカットされています。あまりに歩き慣れた地元であるためずっと見落としていましたが、このカットされたラインは、荒玉水道と玉川上水の交点付近に存在する謎の細長い土地で紹介した土地を南に延長したラインとほぼ一致します。

 少し分かりにくいですが、以下の写真は斜めにカットされた部分から謎の細長い土地を見たものです。正面奥、道路の向かい側の細い隙間がそれにあたります。

いなげや手前から謎の土地を見る

 地図で見ると、以下のA~B間が謎の土地で、C~D間が斜めのカットにあたります。

 つまり、おそらく荒玉水道が作られる以前に、ここには何か(道路か水路か)が存在していて、その影響によって土地の区割りが今でも影響を受けていると推定できます。

まだまだ続くよ §

 実は甲州街道の向かい側にいかにも暗渠に使いそうなムードのコンクリート板を地面においている場所があります。前から気になっていました。これが下記の地図のE点です。そして、北沢川 桜上水支流の支流の更に上流部はここだ! 現存する「ドブ板」発見せり!!で紹介した「北沢川 桜上水支流の支流」の最上流の点がF点です。

 E点は、あくまで板の現在所在地であって、正確にそこに何かがあった痕跡とは言えません。つまり、位置は揺れがあると考えられます。そこで、真のE点はもう少し東側にあると考えると、これらの点はほぼ直線に並びます。

これは何だろうか? §

 順当に考えると道路か水路の跡と考えられますが、それぞれに理があります。

 つまり結論は無しです。

若干の考察 §

 昭和20年代の航空写真を見ると、甲州街道の南側の市街地化は著しく進行しています。水路や道路はあってもかなり整理された形だと思われます。一方、甲州街道の北側はまだ農地ばかりです。現在のいなげやの場所は昭和30年代にはおそらくパン工場(昭和44年の住宅地図では東横食品工業KK下高井戸工場と表記)です。農地や工場が多い土地なので、古い痕跡が残りやすかったと言えるのかも知れません。いずれにせよ、これよりも以前の詳細状況を調べることはかなり難しいので、D~F点間の状況を明確にするのはかなり難しいかも。

感想 §

 疲れ果てた身体を引きずって歩いているときに、ふと顔を上げるといなげやの境界ラインのまっすぐ先にあの謎の土地が見えました。知ってるつもりの身近な場所がいちばん危険かも。

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