2009年08月12日
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下高井戸駅は玉電との接続のために移動し、かつ、貨物引き込み線ができた!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 京王の下高井戸駅の位置が移動したことは地図上から明らかですが、いつ、何を目的に移動したのかは必ずしも明確ではありませんでした。

 しかし、きむらたかし@三田用水さんが、素晴らしい資料を探し当てました。

 国立公文書館のデジタルアーカイブに以下の文書が存在します。

京王電軌-4 東京府発 下高井戸停留場位置替並貨物引込線新設其の他工事変更届出の件 内務省土木局長宛 (年月日 大正14年05月28日)

 厳密には内容を閲覧してチェックする必要がありますが、おそらくこれが下高井戸駅移動の時期を示すものと考えて良いでしょう。この時期は、玉電の下高井戸線開通直後であり、下高井戸駅移動の理由は玉電との連絡にあると考えておそらく間違いないでしょう。

 更にもう1つ興味深いのは「貨物引込線新設」という言葉が見えることです。下高井戸駅にかつて存在した貨物引き込み線は玉電との砂利輸送のために存在したようなので、この工事の目的が「玉電との連絡」にあることはほぼ間違いないでしょう。

 というよりも、旅客ではなく砂利の都合で駅は移動しなければならなかった、と言っても良いような気がします。旅客は自分の足で歩きますが、砂利は自分では歩きません。

まだまだある下高井戸駅の謎 §

 下高井戸駅の北部にはいろいろミステリーがあります。

  • 下高井戸駅の東側の線路北側に存在する道路は徐々に細くなり最終的に消滅する
  • 下高井戸駅ホーム東端の北側には不自然な空間があり京王系列の月極駐車場になっている
  • その駐車場の西側には機器類が設置された土地があるが、中途半端な隙間の土地に機器類を設置した感じ (駅ホームトイレもここ)
  • 駅ホーム北側に沿った道路は不自然な屈曲を繰り返している

 これらは、駅位置の移転に連動して発生した曲線の変更の結果、線路として使われなくなった土地に起因すると考えることもできそうです。たとえば、最初の「徐々に細くなり」は、「元々の線路から徐々に場所をずらしていった跡」と解釈すれば辻褄が合います。

 もう1つ実はこの時期には興味深い問題があります。それは、下高井戸から新宿までの間、既存線路の上に高架線を増線し、2階建ての複々線するという計画です。実現されることはなかったとはいえ、下高井戸と具体的に名指しをしている以上、具体的にどこから線路を分け、どの部分に勾配を付けて高架線に接続するか、具体的に想定された場所があるはずです。

 実際に現地を歩き回ってみましたが、下高井戸駅と桜上水駅の中間あたりが盛り上がった丘になっていて、そこから下高井戸駅方向は下り勾配です。もし、この丘の頂点で線路を分け、高架線は上り勾配、地上線は下り勾配とすると、効率的に高度差が稼げそうです。そのように考えたとき、日大通り西方の下高井戸駅は手狭ではないだろうか、と思ったことも事実です。大型車両が走る高速線のホームを造るには狭すぎます。

 更にもう1つ決定的な問題があります。それは、複線化と駅移転のタイミングが違うことが明らかになった以上、日大通り西方の下高井戸駅複線ホームの位置はどこか、という問題です。いやもちろん、存在しなければならない必然的な位置は決まっているわけですが、どうしてもしっくり来ないのです。

余談 §

 検索を間違えたら「王子電気軌道目白、下高井戸間延長線特許方に関し野方町長深野亀太郎外20名提出陳情・・・」などという文書まで出てきましたよ。

 玉電関係で「前田、下高井戸間仮線敷設の件」といった文書は、前田がどこか気になります。

感想 §

 地元のデメリットは、不自然なことがあっても見慣れているために「そういうものだ」と思い込んでしまうことです。あらためて意識して見ると、おかしなことが山ほどあります。

 ちなみに、上記の月極駐車場の件は最近ドラクエ9のすれ違い通信の試行錯誤中に、下高井戸駅の周囲をぐるぐる歩いている途中で気付きました。まさか、流浪の下高井戸駅問題と連動するとは、気付いたときには全く予想もしていませんでした。

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