鉄道ピクトリアル臨時増刊July 2003(京王特集)に掲載された「京王の貨車のあゆみ」という記事に、以下の図が掲載されています。
そして本文に以下のような記述があります。
図-5は1937年時点の下高井戸の構内配線である。上り側から北側にかけて引込み線が設けられていた。現在も道路にこの地形がとどまっている。
実際に行ってみると、それっぽい地形が残るのも事実です。
以下の地図のB~D間は、前後に想定したラインを含めて考えると、いかにも貨物引き込み線のように見えます。
ここでポイントが高いのは、C点北側の建物です。この建物は鋭角的なエッジをもっていて、常識的にはあり得ない形状の敷地、建物です。道路を造る場合、このような敷地を残すことは考えにくく、やはり急角度のカーブがあり得ない鉄道線路によって生じたと考える方が自然に思えます。
また、B点北側(昭和信用金庫側)には、H型の鉄棒(?)がコンクリートに埋め込まれて立っています。これも、何かの境界を示した痕跡のようにも見え、意味ありげです。(鉄道関係の遺構とは限らないが)
ところが! §
さて、ここで問題です。
きむらたかし@三田用水さんがこの図を最新の路線価の地図と重ね合わせた成果を拝見させていただきましたが、これが(方角を除き)よく一致しています。そして、それを見る限り、本線から分岐するのはC点相当の場所であり、当然この道路の位置に線路は来ないことになります。それどころか、線路に沿って確保された道路ですらありません。
現時点でのまとめ §
この件は、おおむね2種類の解釈があり得ると思います。
- 道路に引き込み線の痕跡が残るように見えるのは錯覚でしかない
- 問題の地図の時代から後に、ホーム延長に併せて引き込み線の位置も変更され、この道路の位置に相当する位置に線路が存在した (少なくともgooの昭和22年航空写真を見ると道路の位置に線路はないが昭和38年の航空写真では既に引き込み線はないので、存在したとすればその間)
2番目の解釈は可能性としては低そうですが、そのような貨物引き込み線が描かれた地図が1枚あれば証明できる解釈でもあります。
ちなみに、下高井戸駅北側に沿った道路は曲がりくねっていて、合理的な根拠を想定しにくい問題があります。成立時期にもばらつきがあるようです。
感想 §
下高井戸駅北側は謎がいっぱい。駅が日大通りの東側に移転する前の京王本線の経路も含めて。