2009年10月15日
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「アニメが死ぬ」方法と「特撮が蘇生する」方法に気付かされた日

Written By: トーノZERO連絡先

 以下は単なる感想文であり、何を言っているのか意味が分からないと思いますが、まあそんなものです。もちろん感想文ですから、ここに書かれた内容が正しいという主張でもありません。むしろ、書かれたことを盲目的に信じてしまう方がうかつであると言えます。

アニメの死とは何か §

 宇宙戦艦ヤマトを契機とするアニメブームを経て、アニメの水準は急速に上がりました。これは、特定のスタッフや制作会社が水準の高い作品を作ったという意味ではなく、業界全体の水準がアップするという、それ以前の状況を思えばまったく考えられないような異常事態が起きたわけです。

 しかし、それは一時的な現象でしか無く、すぐに水準はガクッと落ちるのさ……と私は思っていました。あまりにあり得ない事態が永続することは想像もできず、「何かの間違いで起こった一時の熱狂」でしかないと思っていました。そう思ったまま、まさか1990年代を走り切ってしまうとは予想もしていませんでした。

 この「水準が落ちる」という状態が、この文章で言うところの「アニメの死」です。

アニメの死はなぜ起こらなかったのか §

 基本水準が上がってしまい、それが平均レベルとなった以上は水準が下がりようがありません。

 アニメブームを契機に常識が塗り変わってしまい、そして容易に変動しないものが常識である以上、「アニメの死は起こりえない」あるいは「遠未来の出来事である」という構造ができあがってしまった、とも考えられます。

しかしアニメは死ぬことができる §

 しかし、ある日、私は「アニメの死」ともいえる状況を目にしました。

 フェアリーテイルの第1話を見て、愕然としました。

 真島ヒロ作品が、こんな内容のわけないだろ。(あとでフェアリーテイル1巻を買ってきて確認しました。確かにそんな内容ではありませんでした)

 詳しい話は全て割愛しますが、要するにネギま!OADで典型的に起きている惨状つまり、記号化された萌えアニメ表現によって、原作コミックに描き込まれた本当の意味での感情表現が消失してしまう現象と同じことが起きているな、と感じられました。

 詳しい話は全部省略します。

 つまり、「萌えアニメ表現」しか扱えない、あるいは手抜きのために「萌えアニメ表現」しか使わないスタッフが、生活のために「萌えアニメ」の枠組みを超えて「アニメ」の世界に参入して作品作りを行えば、そこで「アニメの死」は起こりうるわけです。

特撮の復興 §

 以上が「アニメが死ぬ」方法についての話題です。

 同じ日に、録画してあったウルトラギャラクシーの第2話(地上波で見ているから目新しいのだ)を見て、「特撮が蘇生する」方法に気付かされました。ここからはその話題です。

 かつて、「アニメの死」と対になると考えたのは「特撮の復興」です。

 しかし、いくら待っても特撮は復興しませんでした。個別に「これは」という作品(たとえばシャンゼリオン)はあっても、ジャンルとしての復興は無かった感じです。(あくまで私が期待する特撮、という意味において)

 ですが、今まさに特撮の復興は進行中である、と感じます。

 それは、実際に自分がシンケンジャー、ライダーW、レスキューファイヤーを見ている上に、地上波初登場のウルトラギャラクシーまで見始めてしまったことからも言えます。

 特にこのウルトラギャラクシーは凄い作品です。何と言っても、全く先が読めません。これまでの定番ウルトラのパターンを完全に破壊しています。まさに、セブンが登場することなく、カプセル怪獣だけで決着が付くような作品は、過去にはあり得なかったと言えます。

 しかし、それがまた面白いわけです。怪獣をカタログ的に扱う手法は男の子にアピールする良いやり方だと思いますが、それ以上に注目しているのは「本当の意味での心理描写がある」という点です。第2話のレイと隊長の会話の台詞、展開、そして俳優が見せる表情の魅力。絶対に成立するはずがない取り引きを持ちかける隊長の目論見。決裂したのに微笑んで分かれる隊長、敵と見なした者達を助けに入るレイ。

 これはまさに、「私が見たかった特撮」を指向しています。つまり、私は人間だから、人間ではない怪獣やウルトラ戦士に感情移入は出来ないわけです。私が見たかったのは、異常事態に直面してそれを打破する人間の物語としての特撮です。だから、ウルトラ戦士が必ず変身して怪獣と戦うような特撮はあまり興味が持てないし、まして変身前のドラマが甘ければ見る箇所も無いことになります。しかし、ウルトラギャラクシーはまさにその私の不満を解消する作品としてそこにあります。(ちなみに、子供の頃は律儀に帰りマンからレオまで全部リアルタイムで本放送を見ていたが、前半派だった。つまり変身するまでが見所で、変身した瞬間につまらなくなった)

問題は「なぜ今になって」 §

 ここで重要なポイントは、そのような作品が良いというアイデアそのものは、分かっている人なら誰でも着想できるにも関わらず、実際に放送される番組になることはなかった、という点です。

 なぜ今になって、そのような作品があり得たのでしょうか?

 それは、基本的にスポンサー側の状況に変化にあると考えられます。ウルトラにせよライダーにせよ戦隊にせよ、これまでのビジネスの基本は玩具です。ヒーローの人形や、合体ロボットが売るべき商品の基本です。いずれにしても、顧客が数十個も買うような商品ではない以上、少数の売りたい商品をアピールする形で番組は構成される必要があり、それゆえに決まり切ったヒーローが毎回活躍するというスタイルを取らざるを得ません。

 ところが、数年前から全く別個のスタイルが勃興してきたようです。おそらくはムシキングあたりから始まる「カード収集型バトルゲーム」というジャンルです。このジャンルにおいて、売りたい商品はカード(ないしゲーム機のインカム)ということになります。カード1枚の値段はけして高いものではなく、子供であっても数十枚集めることも容易でしょう。

 とすれば、必然的に宣伝用に放送される特撮番組のスタイルも変わらざるを得ません。つまり、できるだけ多くの怪獣をカタログ的に登場させて「この怪獣のカードも欲しいだろう?」と誘惑する必要がでてきます。もちろん、この場合怪獣は主役であって、ヒーローに蹴散らされる「やられ役」であってはなりません。主役は怪獣です。

 しかし、人間不在であってはなりません。怪獣の強さや魅力をアピールするには、怪獣と向かい合う非力な人間も必要とされます。そして、そこで問われるのは怪獣を倒す強さではなく、怪獣に対する恐れや憧れの「心」です。つまり、本当の意味での人間の心のドラマが「必須の必然」として作品に要求されます。

 これは、「怪獣が1体しか登場しない(人間と怪獣の関わりを描いた)初期の怪獣映画」の時代への健全な回帰とも言えるし、そういう時代の特撮を「好き」と言える私にとっては実にワクワクする話になっています。

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