2009年11月05日
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「欲望とは他者の欲望である」と「きっかけはどうだっていいのかも」

Written By: 川俣 晶連絡先

 たまたま、熱中倶楽部ブログNHKブログ 熱中人リポート きっかけはどうだっていいのかも・力石熱中人の大山総帥の言葉を読んでいて、はたと思ったことがあります。以下の部分です。

でもきっかけは「頼まれてしょうがなく」。

昭和26年、当時教員の仕事をされていた高崎さん、地元の郷土資料研究会に所属していたそうで、そこのメンバーだった村長さんに「他に頼む人探すのたいへんだからぜひ」と頼まれたそうです。

この話、ぼくにとっては「我が意を得たり」という感じだったんですよ。ああ、やっぱり、って。

ぼくも熱中人の端くれなので、よく「きっかけはなんですか?」って聞かれます。でも、これといって理由はないんですよね。これまで登場した熱中人さんの多くが、特に劇的なきっかけをもっていないです。

 実はこの話に私も我が意を得てしまいました。

 そして、「欲望とは他者の欲望である」というジャック・ラカン(ヘーゲル?)の言葉も連想しました。

 更に、ドボク系の人たちは隣接する異なる趣味の人たちとなぜ一緒にツアーを楽しめるのか、という理由も説明してくれます。

人間は本当に欲望を持っているのか? §

 最近、いろいろな分野に首を突っ込みすぎて自分でもあやふやになっていましたが、ここ数週間、行ったことがない場所に行こうという趣旨で旧繊維博物館や印刷博物館などを回っているうちに、「そうか、23区の歴史資料館巡り熱中人で良かったのか」と思い直したところです。軽く調べたところ、毎週1回どこかに行くという前提で2002年から既に訪問先は200箇所を軽く越えています。

 しかし、この趣味も実は「明快な個人の欲望」と結びつきません。開始した理由そのものが、狭い場所に閉じこもって仕事をしていてはダメになると痛感したことから義務感で始めたことであり、欲望を満たす行為とは必ずしも言えなかったものです。

 更に言えば、23区の全ての区に存在する歴史資料館を全て巡るという当初の目的はすぐにぶれ始め、地域と歴史に関連する興味深い施設も全て対象に入ってきました。たとえば、公開された古い建築物や庭園(例:旧岩崎邸庭園や雑司が谷旧宣教師館)、文学関係の施設(例:田端文士村記念館、世田谷文学館)、公園(例:都立蘆花恒春園)、遺跡(例:多摩川台公園古墳展示室、伊興遺跡公園・展示館)、美術館(例:東京都庭園美術館)、専門性の高い分野の博物館(例:東京都水道歴史館)、その他(例:田河水泡 のらくろ館)なども対象に入ってきています。そして、それらを含めた訪問は、23区という対象(多少都下にはみ出しているが)を区切ってすらまだまだ全てを見たと言うには遠い状況です。

 これらに関して言えることが1つあります。それは、これらの幅広い施設について、最初から「見たい」という欲望を持って訪問したわけではないことです。(自分の欲望によって駆動されていたら、これほど幅広い施設に行けるわけがない)

 実は、好きなもの、知っているものに関する施設よりも、知らないものに関する施設を訪問する方が「面白い」ということに、徐々に気づかされていったのです。

 つまり、この「面白さ」を駆動する欲望は「私のもの」ではなく「他者のもの」です。私は具体的な欲望を持てるほど詳細に対象を知らないわけで、私が欲望をあらかじめ持つことはできません。欲望は私の外部に存在するのです。

まとめ §

 つまり以下のことが言えます。

  • 「欲望とは他者の欲望である」
  • つまり、自分の欲望など実際には大したものではなく、自らの行動の根拠たり得ない
  • 根拠たり得るのは常に他者の欲望である (ここでいう他者は「私ではない誰か」であり、実在している必要はない。具体的に人格を想定できなくともよい)
  • 他者の欲望を貫徹した時に、その人物は「熱中人」となる

 言い換えれば、「熱中人」の条件は以下の2点です。

  • 自分以外の欲望によって初動の契機を与えられている
  • その欲望が貫徹されている

 さて。ここで重要なポイントは誰もが欲望を貫徹するわけではない、という点です。しかし、貫徹せずとも魅力的な欲望が他者より与えられれば、それは魅惑を感じさせる可能性があります。

 つまり、他者を欲情させる欲望を他者に分け与えることができる人物がいれば、彼/彼女の周囲に人が集まりうるのです。

 この形態には更に発展形を想定できます。それは、そのような彼/彼女を主要な構成メンバーとして成立するコミュニティです。このようなコミュニティは相互に喜びを与え合う、相互互恵的なコミュニティとして安定して継続します。

 実は、ドボク系とはそういうコミュニティではないか……という気がしました。

 もちろん、ポイントは「違う欲望を持ち寄っている」という点にあります。

 同じ欲望を持ち寄ったコミュニティは閉鎖的になり、僅かな差異も排斥する排他的な性質を持つ可能性があります。しかし、違う欲望を持ち寄ったコミュニティは常に差異に寛容であり、他者に解放されています。

補足 §

 以上の話を信じてはいけません。あくまで、思い浮かんだアイデアを書き留めた感想文です。