2009年12月17日
トーノZEROアニメ感想宇宙戦艦ヤマトtotal 2631 count

ヤマトは心象風景の作品であるから整合性など元々あるわけない

Written By: トーノZERO連絡先

 復活編において、どうも名の知れたヤマトファンかもしれない私です。ピーク時にはけっこう重くなるぐらいのアクセスがあるので、いくつかの話題を語ってみましょう。

 しかし、もちろんダメな40代の言葉だから、信じてはいけないぞ。

ワダチと復活編は似ているのではない §

 ワダチと復活編は似ていると書きましたが本当は違うのかも知れないと思い直しました。

 つまり、理不尽な理由で同胞が他の全員からボコボコにされることは、私(1964年生まれ)よりも上の世代つまり松本零士さん(1938年生まれ)、西崎さん(1934年生まれ)、石原さん(1932年生まれ)を含めて共通の認識として、そういうものがあるのではないかと。

 (ついでに言えばヤマトに反発する宮崎駿(1941年生まれ)さんや冨野由悠季(1941年生まれ)さんも同じ世代だから、分かるのでしょう。分かるから反発できるのでしょう)

 つまり、大東亜戦争の渦中に育ち、戦争を始める意志決定には参加できなかった世代ではあるが、戦争の惨禍にはたっぷり晒された世代です。そして宇宙開発競争を現在進行形で見た世代でもあります。

 これは、私から見れば年長者が見てきた光景そのものであり、そういう部分を経由して分かるものです。

 とすれば、ワダチとヤマト復活編が似ているのは、ある意味で世代的な認識が似ているからだと言えます。

 また同時に、ヤマトの宇宙は心象風景の宇宙であるとも言えます。ですから、宇宙服もなしにデスラーと古代は語り合っていいわけですね。理由付けはうるさいマニアのための方便であって重要ではないわけです。

ヤマト勝負の勝者はどっちだ! §

 とすれば、西崎ヤマトと松本ヤマトはどちらが勝ったのか、という問いかけも不毛です。

そもそも僕らはヤマトファンなのだ

西崎ヤマトとか松本ヤマトという部類が不毛である

ヤマトに対して誠実であれば誰でもWelcomeである

 それは、ある世代の僕らが持つ共通の心象風景に対する誠実さであると言えます。

 そして、復活編のヤマトはその意味で誠実度が高く、松本さんの新宇宙戦艦ヤマトはあまり誠実ではなく別の心象風景であった、ということでしょう、たぶん。

強いて言えば §

 本当の勝負はどこにあったのか、といえば。

 おそらく、今時の「時代」にヤマトを描くということは、新しい方法論を獲得する必要があったはずです。その獲得こそが真の闘いであったはずです。

 たとえば、コスモパルサーに書き込まれた膨大な文字などは、新しい表現です。

 つまり、それは時代の反映です。

 たとえば、ヤマトが最初に飛んだ1970年代、精密な模型とはモーターを入れないで観賞用にまとめられている、というレベルだったはずです。しかし、今や「フムナ」といったデカールがあって当たり前。色も1970年代は「軍艦色」が1つあれば済んだ時代ですが、今や工廠別のカラーを使い分ける時代。零戦の色も1970年代は「日本海軍機色と明灰白色と中は青竹色を塗って……」といっあたりだったのが、飴色論争を経て単純ではない深い多様な解釈の世界に進んでいきます。そういう時代にあって、やはりコスモパルサーには「フムナ」等と書かれる必要があったと思います。

 とすれば、それは旧軍機や自衛隊機などの現物の反映に他なりません。宇宙戦闘機が実質的に実在しない以上、それらがお手本になることがリアリティを担保します。

 また、航空もののゲームが増えたことにより、コクピットからの主観視点を見ている者も増えた関係上、戦闘機の見せ方そのものも変わってきます。

 そういう意味で、「宮武三面図は矛盾してるねえ」的なぬえの時代からの脱却は不可避であり、問題はその先です。単純に手本の無い時代に何を描くかの問題です。

 だからスタッフ達に課せられた真の命題は「誰それに勝つ」ことではなく「自分たちに打ち勝つこと」だったはずです。

ということは §

 アニメは集団作業の分業であり、誰であっても役割を持った1つのネジに過ぎません。しかし、ネジも組み合わさることで、1人ではなしえない領域に行けるのがアニメです。その世界にヒーローは要りません。しかし、誰もがヒーローとも言えます。だから、ヤマトはアニメです。

 更に言えば、「ひおあきら」のヤマトも現在あらためて見ると明らかに多くの人間が関わった分業的な表現です。コミックだから1人のもの、というわけではありません。「ひおあきら」のヤマトについては、いろいろ語るべきことがあるので別途語りたいと思います。

なぜいきなり最初に石原慎太郎なのか? §

 復活編を見に行って最初に驚くことは、最初に石原慎太郎の名前が出ることです。

 それはとても意外です。

 なぜなら、彼の弟の裕次郎はといえば、「我が青春のアルカディア」という映画と切っても切れない関係にあるからです。(ファントム・F・ハーロック役として破格のギャラで出演している)

 そして、それが松本映画だとすれば、彼の血族が作品の顔として出てくるはずがない、とも言えます。

 なぜ、現役都知事の名前がアニメ映画の冒頭で出てくるのでしょうか?

 更に言えば、復活編の構想時期から考えて、国会議員として関わった可能性すら考えられます。

 おそらく、石原慎太郎を「ただの危ない右翼のおっさん」程度に認識しているなら永遠に分からないでしょう。もっと複雑に善悪、正邪を分けきれない世界にあって、スパッとものが言えることはそれが正しいか否かに関わらず一種の美徳であると言えます。言えば、それは肯定するにせよ、否定するにせよ、スタートラインの基準になるからです。

 そこから逆に考えれば、ヤマト復活編の世界は元文学者の政治家としてのリアリティがかいま見えます。そこには唯一絶対の正義はなく、本当の悪はベールの向こうにいます。本当に要求されることは状況に関わるか関わらないかではありません。誰でも状況とは無関係ではいられません。そこで、可能なのはどのように関わるか決断することであって、その決断には大きな責任が伴います。そして決断したとしても、それに正しいという保証などありません。ともかく、正しいと自分で自分に言って決断してしまうしかありません。古代の決断に、絶対的な正しさの保証や信念などあるはずがありません。しかし、信念を貫く男の顔をしてみせねばなりません。(その意味では、ずっとしかめ面で出ている真田もそうでしょう。弱い本心は隠し通されねばならないのだ)

 そう意味では、ヤマトの世界は設定資料集の虚構の宇宙ではなく、現実世界に通じています。石原慎太郎という名前は客寄せの他に、そういう決意表明もあるのでしょう。

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