2009年12月20日
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府中・東京競馬場の日本庭園?の池を考える

Written By: 川俣 晶連絡先

 多摩川の流路は変更が著しいらしい。

 武蔵野台地成立前の古多摩川は現在とはまるで違っていて、狭山丘陵の北を流れていたという話もあるようです。

 現在の多摩川も流路が固定的に扱われていますが、低地は全般的に「多摩川」の流れになったかもしれない地域と言えます。

 そういう前提で考えると、実は府中とは「多摩川に沿った台地」の上にあります。水への近さと安定した台地であることが両立しています。海を避け、不安定な利根川沿いを避ければ、関東の中心地として府中を選んだのは妥当なところでしょう。

 というわけで、府中から北つまり国分寺へ向かう方向は安定した台地ですが、南へ行くとすぐ下りになります。

 その先にあるのが東京競馬場です。

 というわけで、少し調べるとこのあたりの青いラインを見ると、どうも「水路跡ではないか」と疑った場所を含め、水路だったようです。

 しかし、東京競馬場の池はいわれが良く分かりません。

 人工的に作ったものなのか、それとも以前からあった池を活用しているのか。その場合、どの程度の改変の手が入ったのかも気になります。

 地形的には自然に水を出し入れするのに有利な位置にあるので、自然に水が流れ込んだ/流れ出した池の可能性もあり得るような気がしますが。

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