やっと見られました。というか、撮影できました。
1回目は散歩の途中で立ち寄って発見できずに敗退。まさか、あのような場所にあるとは。
2回目は暗くて敗退。日が落ちてから行っても読めません。撮れません。
3回目は碑のある時間に行ってやっと読めました。撮れました。
3回目は §
1回目と2回目は往復が全て徒歩です。
3回目は行きだけ電車に乗って東松原降りて帰りは徒歩でした。
そうです。梅ヶ丘の問題を追及していて、東松原で降りたのです。碑は、東松原の方が近く思えたので。
つまり、梅ヶ丘から北へ向かうラインは突き当たって東に折れ、東松原に通じます。これは北沢川の支流のラインでもある谷地で、その全てを対象にした区画整理が行われ、松原変電所もその過程で成立したのでしょう。地名が羽根木だったり、松原だったり、いろいろ混乱しているのも土地を奪い合った結果でしょう。
梅ヶ丘駅は §
更に分かってきましたが、梅ヶ丘という駅は要らない駅ではありません。当初、山手急行との乗換駅として生まれたが、山手急行の構想が無くなった今には不要の駅かと思いましたが、そうではありません。初期には、駅もなく通過しましたが、豊富な水を前提にした農業地帯なら鉄道が通過することも良く分かります。農業人口は鉄道をあまり必要としないからです。しかし、宅地化が進んだ今、鉄道は止まらねばなりません。そういう土地に変貌してしまったわけです。
そして、もともと滝坂道と交差して交通の要衝であった経堂や、世田ヶ谷線と交差してこれも乗り換えのニーズがあった豪徳寺とは位置づけが違うわけです。
ちなみに、経堂から梅ヶ丘までほぼ北沢川と平行しており、この間はどこに駅があっても良かったとも言えますが、どこに駅があれば良かったのかは難しい問題です。