ほとんどアイデアメモです。
北沢川の松原付近の標高を色で示した地図です。ただし、肌色が赤松公園の位置、黄色が発見された橋の遺構のおおまかな位置です。橋は北西から南東に向かって斜めに入っています。
これを見ると、橋のその方向の先には地形の低い部分があります。かつて、ここに何らかの湧水があり、それが最終的に整理統合された結果として、この橋の下を通って合流していたとしても不思議ではないように思えます。(以下の赤線の水路があったかもしれない)
てさんよりのメール §
ID: 20100119143940
Subject: 世田ヶ谷線・下高井戸~松原間の水路の新発見続々
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20100119143940
名前: て
メールアドレス:
本文:
こんにちは。
私も今、川俣さんの赤堤通り問題を見た後、世田谷の川探検隊さんを見
て、再度、川俣さんの方に戻ると、ビックリ!同じ水路問題が増えているじゃありませんか!!
ここの鉄橋…もうちょい北方で、赤堤支流の流路が線路の東から西へ戻って来る様です。この間、東側の道路も広くなっています。
赤堤支流の暗渠は、西側の道路の歩道下に、ずっとあるのでは無いのか、それとも付替え整理があったのかは、不明です。
世田谷古地図で見ると、昭和14年には確かに線路渡り、戻って来ています。
昭和30年では探せませんが…
途中の新たな細い流路2本:これらは、何なんでしょうね?
(以下略)
というわけで、流路の往復という解釈もあり得るようですが、こちらの手元の地図では良く分かりません。いずれもしても、時代ごとの変遷という観点も入れれば、いろいろあり得るかもしれませんね。