2010年01月30日
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なぜ渋谷から中野ブロードウェイの地下まで送電線があるのか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 やっと、いろいろ分かってきました。

 まず、偶然に東北沢駅東側の踏切に発見したTEPCOマンホールですが、これは渋谷付近から中野付近までを結ぶもののようです。

 おそらく、中間変電所である北渋谷を起点にして、小田急と交差する箇所で小田急に給電すると共に東電東北沢変電所にも給電し、笹塚付近で京王線に給電し、丸ノ内線と交差する部分で丸ノ内線に給電し、中野でJRと東西線に給電し、少なくとも中野ブロードウェイの地下変電所までは給電していると思われます。

 しかし、常識的に考えるとこれは奇異です。渋谷から引くよりも、絶対に淀橋あたりの変電所から引いた方が近いはずです。更に言えば、丸ノ内線の車庫とそれに近い広町変電所には、北渋谷ではなく和田堀変電所から地下ケーブルが来ているようです。

 しかし、やっと分かりました。

 鉄道ピクトリアルの京王特集号の電力関係のページを見ているときにはたと気付きました。

 区間ごとに別の変電所から給電を受けている、ということが誇らしげに書かれています。

 つまり、別の経路で受電していれば、全体としてトラブルがあっても電車が止まりにくいわけです。

つまり冗長性なのだ §

 まとめると以下のような状況があります。

  • 鉄道会社はできるだけ違う多くの経路で電気を受電したい
  • 実は、それゆえに今時の都市部の電気鉄道は電力施設を抱え込みたくはない
  • 東京電力のような大規模電力会社であれば、1社でいくつもの経路を提供できる
  • だから、東京電力のような大規模電力会社は歓迎される

 一方で、東電から見ると以下のような状況があります。

  • 鉄道会社は大口である
  • しかし口うるさい
  • それゆえに、かなりの割合は鉄道会社の都合に合わせてラインを敷いている
  • 鉄道会社の要求の多くは安全性と確実性であり、冗長性が求められる

 つまり、すぐ近くまで全く別の経路が来ているのに、更に別の経路の路線があることは当然の要求というわけです。だから、和田堀変電所からTEPCOマンホールが広町変電所まで続いていても、そこで終わってすぐ先の中野通りのTEPCOマンホールのラインと繋がりません。それは別のソースを前提とした別のラインだからです。

感想 §

 結局、飛び飛びではありますが、中野まで自分も出向いてしまいました。

 しかし、地面ばかり見て歩いていて気付きませんでした。

 中野ブロードウェイといえば、以前に来たことがあります。そして、検索してみると変電所の話が出てきます。

 「FRaU東京コンシェルジュ #36「中野ブロードウェイ」」より

地上10階・地下3階(地下2・3階は東京電力の変電所)で、延べ床面積5万6千㎡、住居数220戸、店舗数350は、オープン時東洋一と謳われました。

 まさに「中野 変電所」で検索して後から気付きました。つまり、まんだらけに寄るという発想もなくTEPCOマンホールばかり探しながら歩いていたことになります。

 ちなみに、株式会社ピーデーを作った故・おおひがみ氏は、まんだらけで十二国記の同人誌を「ここからここまで全部。あとでここまで送っておいて」と言って旭川に買って帰った事例があったと記憶します。(しかし、私に十二国記の趣味はない)

 ともかく、TEPCOマンホール列は新井交差点で中野通りを離れて東に向かって、その後よくわかりません。まだ詳細は分かっていませんが、おそらくこのあたりで終わっているのだろうと思っています。

 ちなみに、地下変電所の所在は、一部を除き不明確であることが多いのですが、どうも中野ブロードウェイは「全体のイメージを管理する大家が存在せず」(上記ページより)だそうで、意外と話が漏れやすかったのかも。

2010/01/31追記 §

 北渋谷は一次変電所ではなく中間変電所であろう、という指摘があったので訂正しました。

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