2010年02月22日
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29巻・続々々・苦悩あるところに魂が宿るのならば

Written By: 川俣 晶連絡先

 では、更にもうちょっとだけ先に進んでみようか。

苦悩あるところに物語があり

物語あるところに意志がある

・・そして意志がある物には魂が宿る

 この文章を以下のように模式化してみましょう。

  • 苦悩→物語→意思→魂

 しかし、物語、意思、魂を得る方法は他にもあるはずです。これが唯一の方法ではないでしょう。

 ですが以下のように解釈すると少し意味合いが違ってきます。

  • 物語から魂を産み出すには、物語が苦悩から産み出されている必要がある

 つまり、以下の2つの物語は違うかもしれません。

  • 苦悩から産み出された物語 → 意思を経由して魂に至ることができる
  • 模倣や会議で産み出された物語 → 意思が不在であることが多く、魂に至らないことも多い

 つまり、まとめると以下の通りです。

  • 模倣つまり真似やファン活動から新しい魂は得られない可能性がある
  • 会議室でいくら話をしても新しい魂は得られない可能性がある

 もっと言えば、以下の2つは歴然として違うということです。

  • 漫画が大好きな大漫画ファンだから漫画家になりたい
  • 自らの苦悩が作品として表出してくる。それを商品にするために技術を身につける

 つまり、ファンがいくら進化してもそれだけでは魂の水準に達しないかも知れません。そして問題は、苦悩の有無にあるわけで、その結果産み出された物語が、結果的に何かに似ていてもそれは問題では無いわけです。むしろ似ていることによって、社会が解決すべき「1つながりの大秘宝」が見えてくるわけです。

ところが §

 実は、アニメーターという職業は話が変わります。基本的に他人がデザインしたキャラを上手く模倣して描く能力が要求されます。

  • アニメーターという職業は模倣力でプロになれる

 しかし、動画から原画、作画監督にステップアップすることは可能でも、そこからキャラクター・デザイナーになれるかは分かりません。そこからは、実は模倣だけではやっていけない領域だからです。まして、演出家や監督です。

 ですが、職種さえ問わなければ模倣だけでプロになれ、通用してしまう危険性を孕む業界かもしれません。

 その結果、盗作と言われない程度の改変ができれば、模倣だけでキャラクター・デザイナーのような仕事ができてしまうという可能性もあり得ます。

 また、発注側も知っているキャラを引き合いに出して「ああいうのを描いてくれ」と言ってしまいがちであることも後押ししている可能性があります。

 しかし、これはアニメの凋落を招くだけでしょう。

昔のアニメってやつは §

 ちなみに、昔のアニメは「ここぞという場面で熱い語りかけが多い」という印象があります。たとえば、挫折してもうダメだと思ったゲストキャラに主人公が「おまえの夢はそんなものか!」と叫んでしまうことが、黄金期のアニメには多かったのではないか、という気がしていました。

 これは、「苦悩→物語→意思→魂」というところの「意思」に相当するものの発露であり、「魂」に至るためのステップであったのでしょう。

さてどうする? §

 従って、多数の模倣者であるファンがスクール商法で育成されて、彼らがそのままアニメを作っても魂が入っていないのは当たり前ということになります。模倣では魂が入らない可能性が高いわけです。しかし、そもそもファンとは本質的に模倣者です。別の何かに苦悩していなければ作品に魂が入りません。

 逆説的にそのギャップへの苦悩から良いアニメが生まれる可能性もあるので、必ずしも作品を全否定するわけではありませんが。個人的には、もう金も時間も足りないので、学校のクラブ活動レベルの作品の山から金の卵を探す作業は無理。

 まあ、そういうことです。

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