「約束通り質問しに来たよ」
「いったいなんだい?」
「問題は、身体は大人でも心は子供という表現にある」
「ふむふむ」
「その場合、大人との区別はどうやって付けるのかな? 見た目は同じはず」
「ほほう」
「そこが知りたいわけだ」
「結論から言えば、両者はしばしば区別が付かないわけだ。ネットでは肉体すら見えないことは珍しくないし、肉体が見えてもスーツを着て名刺を持ってそれなりにビジネスマンらしい挨拶をしてきたらまず区別は付かない」
「もしも区別が付かないとすると、両者を別扱いすることは理論的に不可能ということにならない?」
「しかし、幸か不幸か実は区別が付いてしまうのだ」
「どこに違いがあるの?」
「底の浅い嘘は論外としよう。教科書に書いてあることと違うことを言って根拠も不明瞭だったり、さっき自分で言ったことと矛盾することを平気で言うようなことは、まず論外だ。罪を逃れたがったり、いい格好をしたいだけのその場の言葉であり、本音ではないだろう」
「それで、論外ではない区別とは?」
「いちばん簡単なのは差別発言だね」
「たとえば?」
「XX国人だからダメに決まっているとか、XX社がやることだから全てダメとか、そういう発言を聞いたら警戒せよだ」
「ほう?」
「そもそも、人間は個人差の方が大きいから、特定の国の国民にいい人もいるし、悪い人もいるだろう。当たり前だ。企業も同じで、組織がそれなりの規模になれば立派な業績を上げる人もいれば不祥事を起こす人もいるわけだ。これも当たり前だ」
「すると?」
「XX国とかXX社と聞いた瞬間に、相手の人格まで決めつけてしまう態度は、社会経験の圧倒的な不足を意味している」
「立派に仕事をしている大人であっても?」
「そうだ。実は何かの技能さえあれば、仕事ができてしまうから社会人のように見えるがそうではない、ということだ」
「それは単純明快すぎるから、もっと別の例を教えてよ」
「そうだな。それじゃ、地デジ叩きというのはどうだ?」
「地デジが間違っているという話かい?」
「うん。そういう話。ただし、ここでは地デジが正しいか否かは一切論じない」
「じゃあ、何を語るの?」
「地デジ叩きについてだ」
「それって違うの?」
「うん、歴然として違う」
「じゃあ、語ってくれよ」
「まず、地デジは叩かれた。そもそも、テレビなど面白くないから誰も見ないとまで言われて、テレビそのものが叩かれた。しかし、ある時期から急に叩く言葉が減ったように思われる」
「へぇ。それはいつだい?」
「暗号化された放送データを直接抜き出して記録する方法が確立された頃さ」
「それって?」
「つまり、コピー制限を回避して無制限にコピーできるようになった、ということさ」
「ははは」
「それどころじゃないぜ。コピー制限を回避できる製品を買うために秋葉原で行列できるほどだ」
「本当に? だって、みんな、テレビなど誰も見ないと言ったのだろう?」
「現象として言えば、それは酸っぱいブドウだ」
「どういう意味?」
「コピー制限されているからあんなものは面白くない、と言っていたに過ぎないわけだ。制限が解除できればやはり見たいわけだ」
「なるほどね。だから酸っぱいブドウ」
「つまり、彼らの本音は泥棒だ」
「それは、社会のルールに従わないという意味?」
「そうだ。彼らの本音は泥棒を支援する機器を秋葉原で行列して買い込んででも、泥棒を行うことだ」
「それはあまり良い心がけとは言えないね」
「だから、泥棒天国のテレビが嫌われてアニメや特撮業界が劇場版アニメ特撮にシフトしつつあるわけで、ある意味で当然だ」
「特撮まで?」
「2週間に1本ずつ3本も新作を上映しますというライダーは完全に劇場シフトだろうね」
「それで、そのような発言の矛盾を見いだすことが子供の証明ってこと?」
「いや、厳密に言うと違う。それは犯罪者をあぶり出す手法で、子供をあぶり出す手法ではない」
「じゃあ、何がそうなの?」
「問題は自分たちが与えた被害によって、アニメのテレビ離れが起きているにも関わらず、罪を認めてごめんなさいと言わないことであるのだが……」
「それで?」
「まあ、加害者というのは自分が加害者であることをすぐ忘れてしまうものではあるが、この場合はそういう現象とはやや違う」
「というと?」
「通常は、すぐ事件を忘れてしまった加害者を、ずっと覚えている被害者が非難する形になるが、ここは厳密にはそうではない」
「じゃあ、どうだっていうの?」
「加害者であるという意識がそもそも存在しないのだ」
「ええっ!? 被害を受けて怒っている人たちがいるんでしょ?」
「そうだ。最初に泥を投げて怒らせたのは自分たちなのに、まるで理不尽な扱いを受けた被害者気分なのだ」
「本当に?」
「そうさ。音楽の問題でも、先に音楽をCD-Rで勝手にコピーしまくってJASRACを怒らせたのに、まるでJASRACが悪者扱いだ。これはおかしいよな」
「ははぁ。分かってきたぞ。つまり、ここにあるのは被害者と加害者の立場の取り違えによる倒錯なんだ」
「そうだ。彼らは加害者として非難されているにも関わらず、加害者という意識がないから、まるで理不尽な攻撃を受けた被害者の気分に浸っているわけだ」
「なるほど」
「言い換えれば子供の遊ぶ権利を行使して遊んでいるつもりの子供達は、神成さんの家にボールが入ってもそれが罪だとは思わないが、実際は他人の家にボールを入れて資産である盆栽を壊して許されるわけではない」
「ははは。結論が出たようで」
「他にも類型はあるけどね。論理的な正しさに固執して、知識や経験が乏しいとかね。でも、そういう形で子供は判別できるわけだ」
「なるほど。そして、子供と大人は判別され、条件を満たした子供は叱る対象になる訳ね」
「叱りたくはないけどね、面倒だから」
「で、その判別は正しいの?」
「さあ」
「さあって、正しいと信じているから採用しているのではないの?」
「信じてはいないよ。単に便宜上そうやって区別しているだけだ」
「便宜上って……」
「とりあえず何か基準がないと困るから採用しているだけ」
「じゃあ、その基準が間違っているという議論はあり得る?」
「あり得ない。不都合があればそれを解消するために基準を改変するかもしれないけど、それは具体的な不都合が起きてから考える」
「議論はしないの?」
「うん。だって、もはや議論で解決できる猶予期間は終わってるから。もはや問われているのは、自説の正しさを証明することじゃない。迷惑を掛けたら正直に告白してごめんなさいということさ。そのあとでなら話は聞くかも知れないが、その後の話だ」
「まさに神成さん的な結論で。でも、また疑問が出てきたよ」
「まだ続くのかよ」
「他人の深層を暴くのは楽しいじゃないか」
「鬼、悪魔」
(次回に続く)