2010年04月08日
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世田谷線・山下と上町の駅も移動しているという疑惑が発覚

Written By: 川俣 晶連絡先

 実は決着を付けたつもりがまだありました。

 「て」さんが山下も移動しているというので、世田谷区立郷土資料館で買った昭和4年と昭和14年の世田谷古地図をチェックし直して驚きました。

 これは山下駅も僅かに小田急側に移動しています。

 改めて今昔マップ2をチェックすると確かに位置がずれています。

 小田急と北沢川の中間で移動する余地はほとんど無いと思っていましたが、その僅かな余地で移動していました。

だが驚きはまだまだ §

 しかし、昭和4年と昭和14年の世田谷古地図をあらためて見てびっくり。上町の駅も、踏切の三軒茶屋側にある?

 今昔マップ2では昭和4年も含めて一貫して下高井戸側です。

 世田谷古地図の方が縮尺率が大きいので精度が高いはずだと仮定すると以下のようになります。

  • 当初、踏切の三軒茶屋側に駅があった
  • その後、踏切の下高井戸側に移った
  • 車庫ができて、下りホームだけ三軒茶屋側に戻った

 そう考えると、明らかに無理のあるカーブにホームがある理由が分かります。元々の計画された場所ではないわけです。おそらく、世田谷通りの拡幅で場所が不足して移動を迫られたがカーブにしか場所がなかった、という感じでしょうか。下りホームだけなら踏切の三軒茶屋側に戻れた、ということも考えられます。上りホームを1両分なら確保できても、2両分を確保できなかったということも考えられます。実際、下りホームの向かい側に不自然な空き地も見えます。

 とはいえ、これもまだ相矛盾する資料が出てきただけで、真相は良く分かりません。

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