2010年04月08日
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バス路線の研究で諸先輩方は既に先行していたらしい

Written By: 川俣 晶連絡先

 桜上水Confidentialさんからのメールで紹介されたHalf Mile Project 調査サブノート:三角橋のバスに既に話がありました。

 こういう話は貴重です。

「日東乗合」の、渋谷-世田谷町役場間(と「玉川乗合」の、渋谷-新町間)のバスが、渋谷駅前ではなく、玉川電車で渋谷から1駅の「道玄坂上」を起点としていたことがわかる。

 「玉電が走った街 今昔」の折り返しの地図では起点は道玄坂上ではなく更に1もう1つ下がった大坂上を通り過ぎて上通り4丁目交差点か、そこも中継点であって渋山で行くのかは分かりませんが。それは東急のバスでしょう。時期の差か会社の差かは分かりませんがともかくこのあたりが起点になったわけですね。

更に発見 §

 「玉電が走った街 今昔」の目次ページ掲載の昭和8年の沿線遊覧案内にもバス路線がありました。道玄坂上起点で溝の口の先まで行くラインと、渋谷起点で道玄坂上から分かれて経堂方面に行くラインが見られます。このラインは豪徳寺を東に回るルートのようです。

本当にバスはすれ違ったらしい §

 以下に桜上水Confidentialさんからの内容をご紹介しておきます。不都合がありましたら。ご連絡下さい。

バス路線のお話しは、一昨年かなぁ?

きむらさんからご教示いただいたことがありましたね。

きむらさんのHalf Mile Project 三角橋のバス

http://homepage3.nifty.com/baumdorf/KimuTaka/HalfMile/SankakuBus.htm#ShidouChizu

に詳しくありますが、

渋谷(上豊沢)-経堂間のバス路線は、もともと三角橋、池ノ上経由淡島、さらに世田谷町役場(区役所)、そして経堂(恵泉前)と伸びていったものでした。

恵泉前のバス停は、経堂小学校とはす向かいにあったのでしょう。

そこまでバス路線であったは、そこから先は世田谷でなく、千歳村だったことと関係があるかもしれません。

経堂在家村は、明治22年の町村合併前から世田谷村と連合村であり、地域的なつながりが、瀧坂道を通じてあったのだと思います。

先ごろ、渋谷からの小田急バスが、梅ヶ丘から経堂まで延伸されました。

このバス路線が、いわば世田谷区内最古のバス路線である渋谷ー経堂間バス路線の後継者なのでしょう。

もっとも、渋谷ー東大裏ー三角橋ー淡島ー若林ー(旧)宮の坂ー経堂と走った、当初の路線とは、今の路線は交差することはあっても、同一の経路はたどっていません。

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私たちの小学生時代、経堂には三つのバス路線が入っていました

渋谷ー246-世田谷通りー上町ー(新)宮の坂ー経堂の東急ー都バス共同運行路線

渋谷ー淡島通りー宮前橋ー梅ヶ丘ー赤堤通りー西福寺通りー経堂の小田急バス

経堂ー仙川の小田急バス

経堂駅から仙川までの瀧坂道を走っていたは、経堂ー恵泉前路線を引き継いだ小田急のボンネットバスでした。

今でも幅6m(かな?当時は4mかも)の瀧坂道を、なんと、バス同士がすれ違ってました。

今、小田急バスの本社は仙川にあります

もともと、そちらと縁の深いバス会社を小田急が買収した故と聞きます

 滝坂道をボンネットバス、という光景は凄いですね。しかもすれ違いもありとは。

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